
毘沙門さまを横目に歩を進めると、賑々しい風景に出会す。
全国で初めて縁日に夜店なるものが登場したのがこの地であるということは、このあたりでは滅法有名な話であるらしい。
神楽坂通りには文化の香りがした。
なんてわかったようなことを思ってみたものの、それは多くの文豪が好む街だからという前情報に踊らされているだけかもしれない。
「はい、お邪魔します。すみませんね。ご迷惑をおかけします」
茶屋のご主人に頭を下げ、2階へ通してもらう。
私は早速窓から出て瓦の上に立ち、そのままスルスルと2階の屋根に登った。通りを行く人が幾人か私の影に気づいてこちらを見上げた。けれど、すぐに納得した顔で視線を落とした。
それもそのはず、今の私はどこからどう見ても屋根の修理人でしかない格好をしている。なにも怪しいところはない。
今回の調査対象に接近するために急ごしらえで用意した扮装だったが、効果は充分だ。
雨漏り修理という名目で連なる瓦屋根の上をひょいひょいと渡っていく。
「あ、いたいた」
ひと際高い建物の屋根の上に鷹の巣宗近はいた。
事前の情報どおりだ。
鷹の巣宗近は最近めいじ館にやってきた巫剣とのことだが、1人で行動していることが多く、なかなか行動が追いきれないでいた。
空いた時間にはもっぱらめいじ館の屋上で過ごしていたようだが、最近は東京の町の中にもいくつかこうした「1人になれる場所」を密かに確保しつつあるようだった。
「いい天気だね」と声をかけると、鷹の巣宗近はびっくりしたように身を起こして私を見た。 露骨に警戒されている。
「驚かせちゃったかな? いや、怪しい者じゃないよ! ね? うへへ」
「うわ……」
警戒心を解くために無理して笑ったらなおさら不審人物みたいになってしまった。引かれている。
「修理! 雨漏りの修理に来ただけだから! 本当に!」
「修理人さん……ですか」
「そう。むしろこんな高いところに女の子がいて、びっくりしたのはこっちだよ」
「子供扱いしないでください」
「え? でもどう見ても――」
見た目は子供そのものだが、そういう扱いをされることが好きではないらしい。
「えっと……君は高いところが好きみたいだね。いやー実は私もそうなんだ。子供のころからよく屋根に登っては叱られてたよ。で、気がついたら今の仕事に就いてたってわけで」
これは半分本当だ。実際おしとやかな女児ではなかった。
「ここは君の秘密の場所? またずいぶん具合のいいところを見つけたもんだね」
私はその場から神楽坂の街を見渡し、その風景を褒めた。
すると鷹の巣宗近はわかりやすいくらい機嫌を直して「わかります?」と身を乗り出してきた。
実際ここは素晴らしい眺めだった。それに立地の関係でうまい具合にどの角度からも人目に触れることがない。
「お仕事の合間にこういう場所にきて空を眺めているんです。落ち着くんですよ。1人で高いところにいると」
「若いのにお仕事とは感心だね……あ、ごめん」
また子供扱いしてしまった。
仕事とはもちろん巫剣としての仕事のことだろう。
「職場ではあんまり落ち着かないの?」
「……」
ちょっと踏み入りすぎてしまっただろうか。鷹の巣宗近は逡巡する様子を見せた。
「……そんなことは……いえ、そうなのかもしれないです。あそこはとってもいい所。私にはもったいないくらい。暖かくて優しくて……でもだからこそ 、そんな中でどんな顔をしていればいいのか……まだわからないんです」
「そう。特別に感じ始めているんだね。その場所を」
「そう――なんでしょうか? わかりません。結局私はこうして1人の場所に逃げてしまっていますし、このことを知ったら皆なんて思うか」
「なんとも思わないんじゃない?」
「え?」
「あ、いや! 特に根拠はないんだけどね! でも君が1人の時間を必要としていて、そのための場所を密かに持っていると知ったとして、職場の人たちはそれを取り上げようとするような人たちなの?」
「そんなことは……ないと思います」
「君がそう思えているならよかった」
あのめいじ館という場所が、ある1つの考え方を強要するような場所ではないことは、端から覗き見ている私にもわかる。そうでなければ、さまざまな考え方と歴史を持った巫剣が集まり、破綻せずいっしょに生活してなどいられないだろう。
「ですが、もし私が皆を避けるみたいにこんな場所にいるところを見られでもしたらと思うと……」
鷹の巣宗近は憂い顔で足元の瓦を見つめる。新しい場所になじめないでいる様子だが、それでも彼女は彼女なりに他の巫剣の気分を害したりしたくないとも考えている様子だった。
「そんなに深刻になることはないと思うけど……」
「あなたにはわかりません! 私がどれだけ――」
「鷹の巣じゃないか」
その時、突然背後から別の人物の声がした。
こんな屋根の上に?
鷹の巣宗近驚いて振り返って見て、思わず声が漏れた。
「み……みか…… !」
棟の上に巫剣・三日月宗近が立っていた。たった今、別の屋根からここへ飛び移ってきたような様子だ。
それは目を見張るほど勇ましく美しい立ち姿だった。
「あ! その……これは……」
鷹の巣宗近はまずいところを見られたとでも言うようにあたふたしている。たった今話題にしていたことが即座に現実になってしまったのだ、焦りもするだろう。
めいじ館とあからさまに距離を置いていることを咎められるのではないかと彼女は気にしている。
けれど三日月宗近はそれどころではないという様子だ。
「ちょうどよかった。今、手は空いているか?」
「え? は、はい」
「緊急の任務だ。駅の方で〝群れ〟が発生したそうだ。近くにいる者で即座に対応する。手伝ってくれ!」
「わ……わかりました!」
「では行こう!」
そして彼女は即座に次の建物へと跳び移って行ってしまった。
鷹の巣宗近がなぜこんな場所にいるのか、なにをうろたえていたのか、それらについてなにも訊かなかった。
残された私と鷹の巣宗近はしばし互いに目を見合わせた。
「えっと……というわけで、い、行ってきます!」
「い、行ってらっしゃい!」
三日月宗近を追って鷹の巣宗近も跳ぶ。
その身軽さはまるで鷹みたいだ。
鷹の巣宗近の憂いは、確かに彼女にとっては大きなことなのかもしれない。けれどそれはめいじ館での、そして巫剣としての苛烈な日々の中でやがては解消されていくだろう。
互いの命を預けあい、死線をくぐり抜けていく中で単純な暖かさや優しさだけでは言い表せない繋がりが彼女らを結びつけていくだろう。
それを絆と呼んでもいい。
そのころには誰の目も気にせず1人の時間を謳歌できるようになるし、自意識に悩まされることもなく堂々と仲間に手を差し伸べることもできるようになるはずだ。
きっと。
私はそう思う。
これでも一応、これまで誰よりも多くの巫剣と触れ合ってきたのだ。
以上、御華見衆観察方より報告