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巫剣観察記

粟田口国吉

粟田口国吉

先日、仕事で失敗をした。
人から見ればそれは些細な失敗だろう。けれど、私にとっては大きな、そして情けのない失敗であり、失態だった。
もちろん、落ち込んだ。けれど落ち込んでいるからといって世界は私に優しくしてはくれない。次の仕事はいつも通りやってくる。いやでも気持ちを切り替えて、次の場へ向かうしかないのだ。
そんな私が向かったのが――。

「ここが夕津村(ゆうつむら)……」

この村には最近禍憑の群が巣食うようになっていた。禍憑は凶悪で、村人は日々の生活どころではなくなってしまい、とうとう近隣の村に避難を余儀なくされたという。

「情報によればここに粟田口国吉がいるはずだけど……」

粟田口国吉。今回私が調査を命じられた巫剣の名だ。
なんでも禍憑の群れを退治するために1人でこの村へ入ったらしいのだが、いつまで経っても連絡がなく、避難した村人たちも心配しているという。
私は村人の1人を装ってこの夕津村に足を踏み入れた。
人の気配のない村の風景はどこか背筋を寒くさせるものがある。けれど、少なくとも禍憑の姿は1体も見えなかった。

「禍憑にやられちゃったんじゃないかなんて噂もされてたけど、ちゃんと退治は終わってるみたい……。でも、それなら尚更どうして……ん? あれって……」

歩くうちに、前方の民家が目についた。いや、正確にはその周囲に並べられている物に目が吸い寄せられた。
やがてそれがなんなのか理解して、私の心臓は跳ね上がった。

「ひゃッ!」

それは木彫りの像だった。それも、片手に剣を持ち、憤怒の表情を浮かべる不動明王だ。そんな大小の像が、数え切れないほど並べられている。その光景はただただ異様そのものだった。

「び、びっくりしたぁ! どうしてこんな物が……」
「誰?」

ふいに家の中から声がした。

「あ、えっと! 私……村の様子を見に……来たんですけど……」

とっさに自分の任務を思い出して、私は家の中へと声を投げかけた。少し待っていると、やがてゆっくりと木戸が開けられた。
そこから顔を覗かせたのは、色彩豊かな着物と髪飾りをつけたかわいらしい女性だった。

「あの……粟田口国吉……さん?」

問いかけると彼女は暗い眼差しをこちらへ向け「そうだけど……」と言った。

「よかった! 無事だったんですね。化け物の退治に向かったきり戻ってこないから、村のみんなで心配してたんですよ」
「退治……? ああ、禍憑ならもうとっくに退治したわ」
「そうなんですか。でも、それならどうしていつまでもここに……」
「戻りたくないのよ!」

怒鳴るようにそう言うと粟田口国吉は部屋の中に引っ込んでしまう。
住民の家を一時的に借りている状態なのだろう。屋内にも大量の像が並んでいる。怖い。
私は彼女についていく形で家の上がり框に腰をかけた。

「戻りたくないって……ど、どうして?」
「退治するにはしたわよ。でも、ちょっぴりしくじっちゃって、村の建物や畑に少し被害が出ちゃったのよ。あたしのせいなのよ……。だから、きっと村の人たちがここへ戻ってきた時に村の状態を見て悲しがるに違いないわ……」
「そ、それは……止むを得ないことと言うか……そもそも国吉さんのおかげで村が救われたわけですし……」
「きっとみんな私のことを恨むに決まってる! 恨んで怒って、石を投げつけてくるに違いないの! そう思ったら……おめおめと報告になんて戻れないわ!」

畳の上に腰を下ろした粟田口国吉は、懐から彫刻刀を取り出すと手近な柱に凄まじい速度で不動明王を刻んでいく。

「な、なにしてるんですか!」
「止めないで! こうなったらお不動様を彫らないと気が休まらないわ! 気持ちをぶつけさせて!」

なぜぶつけた結果が不動明王なのか、そこまでは聞けなかったが、これで大量の像の謎は解けた。しかし村への被害よりも、自宅の柱に勝手に不動明王を掘られることの方が精神的に迷惑なのでは、とちょっぴり思ったが、それも口にしないでおいた。

「か、考えすぎですよ。 きっとみんな感謝してますって!」
「どうかしら……。最初はいいかもしれない。村が自分たちの手に戻ってきて、多少は感謝してくれるかも。でも、生活が落ち着いてきたころにみんなこう思うのよ。ああ、あそこの水車小屋が壊されていなきゃなーって。畑が潰されたせいで今年の冬はどうなるだろうって。そして井戸端でことあるごとに、こうささやきあうのよ。あいつが、粟田口国吉がちゃんとやっていればって」
「そ、そんな先々のことまで……」
「そうして一族代々語り継いでいくのよ! この村の石碑にも刻まれるんだわ! かつて夕津村に災いをもたら者、その名は粟田口国吉って!!」
「考えすぎ!!」

私は戦慄した。
粟田口国吉、彼女は限度を越えて悲観的なのだ。常にもっとも悪い想像、想定をし、その考えに心を囚われている。

「国吉さんの考えはわかりましたけど、だからっていつまでもここに閉じこもって不動明王を量産していても仕方がないじゃないですか。もう禍憑はいないわけだし、私といっしょに行きましょう」
「なによあなた……。どうしてあたしにそこまで……。ハッ!! まさか……甘言で私のことを誘い出して、怒れる村人の前に突き出すつもりじゃ……!」
「また悪い方に考える! なんですか! 少しの失敗くらいでそこまで塞ぎ込むことなんて……」

そう言いかけて、私は言葉を詰まらせた。
――少しの失敗くらいでなんだ!
その言葉は、私が今日の任務に赴く前に観察方の先輩から言われた言葉だった。
その一言に対して、あの時私はなんと返した?
「私にとっては大きな失敗なんです」そう返したのではなかっただろうか。
そして気持ちをうまく切り替えることもできないまま、任務に向かったのではなかっただろうか。
それなのに私は目の前で落ち込む粟田口国吉に「少しの失敗くらいで」と言った。
彼女にとっては大きな失敗だったかもしれないのに。
私は一つ深呼吸をすると肩の力を抜いて、改めて彼女に話しかけた。

「国吉さんは、ここでずっと一日像を彫り続けてるんですか?」

もう少しこの人の話を聞いてみようと思ったのだ。

「今度はなによ……。別に、ただ像を彫ってるだけじゃないわ」
「と言うと?」
「村の周辺に……仕掛けを作って歩いてるの」
「仕掛け? 罠っていうことですか?」
「何十も。何百も」
「そんなにたくさん?」

食料確保のために野生動物の狩りでもしているのだろうか。首をかしげると粟田口国吉が違うと首を振った。

「また来るかもしれないから、その時の……万が一のためによ」
「また来るって……まさか化け物のことですか? でも、辺りにはそんな気配なんてまったく……」
「だから、万が一なのよ。村に居ついていた禍憑はあたしが出向いて早々に一掃したけど、それで全部解決なんて“運よく”ことが運ぶとは限らないじゃない。すっかり油断したところを後ろから襲われるなんてことも、なくはないじゃない。だったら、万が一だろうが億が一だろうが、それに備えておくことにこしたことはないでしょう」
「それは……」

私は驚嘆した。戦慄からの驚嘆だ。
そしてなぜか、不思議とこの人のことを応援したくなった。
万が一に備えて、村人のために1人で備え続けているこの粟田口国吉のことを、単なる変わり者と捉えることができなくなっていた。

「わかりました。もう私からはなにも言いません。国吉さんの戦いはまだ終わってないんですね。だったら私は戻ってそのことをみんなに伝えてきます」
「急に物分かりがいいじゃない……。なにを企んでいるの?」

ブレない彼女に苦笑いしつつ、私は腰を上げた。

「もう、行くの?」
「はい。そろそろ戻ります。お邪魔しました」
「そう」
「不動明王像、ほどほどにしておいてくださいね。このままだと夕津村の名産品になっちゃいま……」

私が軽口を叩きかけたその瞬間だった。

――カランカラン!!

村中に響き渡るような音で乾いた木がぶつかり合う音がした。

「これは……鳴子の音?」

次いで、なにか巨大で重い物が落下するような音が森の方から次々に聞こえくる。

――グギャアアアアーーース!!

その、この世のものとは思えない異様な咆哮を耳にして、私はようやく理解した。
理解して、粟田口国吉のことを振り返った。

「ま、まさか本当に化け物がまた現れ……」

万が一が、起きたのだ。

「く、く、国吉さん!!」

けれど粟田口国吉の表情にはなんの変化も見られなかった。
さっきまでと全く同じ。悲観的な暗い目をして、小さくため息をついている。

「ほら、やっぱり来た。悪い予感は的中するのよ……。いつだってね。フゥ……」

彼女はゆっくりと戸口に立つと、その美しい刀をするりと抜いた。
これから二度目の戦いに赴く彼女の後ろ姿を見ながら、私は報告書のことを考えていた。

備えあれば憂いなし――否、備えあれども憂いあり。
されどその備え、万が一にも抜かりなし。

以上、御華見衆観察方より報告