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巫剣観察記

瓶割刀

瓶割刀

「あっ、すみませんー♪ 熱燗もう二合つけてもらっていいですかー♪」
とろんとした目で居酒屋の店員にそう言ったのは瓶割刀。
巫剣の一人である。禍憑と戦うことの出来る、すごい存在である。

「それとお、えいひれの炙りをお願いします♪」

私は、その瓶割刀を観察する役割を持った御華見衆観察方の一人である。
名は名乗らないでおこう……観察方の仕事は、闇に紛れ、正体を隠すことを基本とする。
自慢に聞こえるかもしれないが、はっきり言って、こちらも結構すごい。観察方になるには、多くの訓練に耐え抜き、狭き門の試験をくぐり抜けなければならない。
しかも、私は女性なのだ。観察方の性質上、女性も必要とされるが、やはりそこはどうしても男社会というやつで、その割合は少ない。畢竟、女性のほうが倍率が高い。
つまり、エリートというやつだ。えっへん。

「くぅー♪ ちょっとクセのあるツマミを日本酒で流し込むこの感覚♪ これこれ」

御華見衆観察方は、密かに巫剣を観察することが任務だ。
もちろん、巫剣本人にそれを悟られてはならない。
その私が。

「ぷはー♪ この瞬間のために生きてるって思いますよねー?」

なぜ、観察対象の巫剣と差し向かいで一緒に飲むはめになっているのか。

話は少し遡る。
夕刻より私は観察対象、瓶割刀を尾行していた。
戦闘が終わった後の彼女の行動を記録するために。
禍憑との激しい戦闘を終わらせた彼女は、早足でどこかへと向かった。
観察方としての私の直観が告げた。
(なにかある!)
巫剣の行動は、国家の存亡にかかわる。だからこそ、私たち、観察方の存在が必要なのだ。
瓶割刀は歓楽街へと向かう。
通常、女性が一人で歩くのはあまりよくないとされる界隈である。
その上、彼女はその中でも薄暗い裏通りへと入っていったのだ。
当然、そういった場所にはよからぬ輩が存在する。
(なぜ、こんなところに……?)
これは、大事になるかもしれない。
私はごくりと唾をのみこみ、彼女を追った。

瓶割刀が入ったのは、屈まなければ通れないような小さな扉だった。
そこに……瓶割刀は入っていき……。

詰まった。

彼女が背負った巨大な酒瓶。
それがひっかかったのだ。

「くぅう……通れない! ここまで来て、こんなワナがあるなんて!」

彼女は大騒ぎしている。じたばたするものの、酒瓶は外れそうにない。
もじもじと、彼女のおしりが揺れている。
その動きで、着物に包まれたその中身の柔らかさが伝わってくる。
女性の私が思わず見とれ、赤面してしまうほど魅惑的な光景だった。

「禍憑!? 禍憑のしわざなの!?」

だが、言っている内容は結構ひどい。
この光景を誰かに見られたら、巫剣の評判は地に落ちるだろう。
私は、おずおずと申し出た。

「……あの、手伝いましょうか?」

仕方がない。巫剣本人と話すのはリスクもあるが、私は変装もしてきている。
手伝ってさっと立ち去るだけなら問題ないだろう。

それが間違いだった。
酒瓶が戸口に引っかかっているところを外した瞬間。
……声を出す間もなく、私は店内に引き込まれたのだ。

「いやあ、お酒を目の前にして飲めないなんて辛くて辛くて……本当にありがとうございます」

その場所はどうやら居酒屋だったらしい。
店内に引き込まれると、料理のいい匂いが鼻をついた。
私はいつのまにか、気付かぬうちに、瓶割刀の向かいに着席させられていた。
なんという早業だろう。私は気付いた。
(……虚を、つかれたっ……!?)
噂には聞いていた。
瓶割刀は剣術の達人で、人の目には止まらないほどの迅さで敵を斬ることが出来る。
それは巫剣としての身体能力のおかげである。
だが単なる速さ以上に、彼女が剣士として培った技がそれを可能としているのだ。
それは、人の意識の「虚」をつくこと。
人の意識は、本人が思っているほど連続ではない。
そこには、意識が途切れてしまう「隙間」……「虚」が存在する。
その瞬間に動くことで、見えるはずのものも「見えない」というのだ。
信じがたい話だったが、自ら体験すれば実感せざるを得ない。
私は、いつのまにか、居酒屋の席につき……そして。

「かんぱーい♪」

目の前の酒を、飲み干していた。気付かないうちに。
(またしても、虚をっ……!!)
目の前にいるのは、美しく可憐な乙女だ。
女の私でもドキドキするほどに魅力的なその微笑み。

「女の子の飲み友達って嬉しいなあ♪ あ、次は何飲みます?」

その裏側に、これほどの実力があるとは。
私は戦慄した。これが、私の観察対象……。
(だが、これは好機でもある……!)
瓶割刀はまるで、私に警戒していない。
私が彼女の危機……酒瓶が戸口に詰まってお尻ふりふり……を解決したことが功を奏しているようだ。
彼女の本質を見極めるチャンスである。
私は覚悟を決めた。

「熱燗一合、もらおうかっ、店主!」
「わー、いいですね! お猪口二つくださいっ!」

そして、宴は幕を開けた。

で、こうなった、というわけである。

「でねー、なんかきもちわるいのかぶぁーってくるから、ばさーってきったのね。もうちょっとで、おさけがのめるからって、わたしがんばったの」

瓶割刀はベロベロである。

「えらいっ! えらいぞっ!」

私は酔っているものの、意識はしっかりしている。観察方としての訓練の賜物だ。

「でもぉ、なかなかしぶといからあ、わたし、むそーさんげしたのね、はやくのみたくて」
「なんだ、その『むそーさんげ』っていうのは」

瓶割刀の奥義である「夢想散華」。
情報は持っていたが、私は知らないふりをして聞いた。

「めをつぶるとぉ、ぜんぶきれちゃうんだー」

目を閉じ、無意識のうちに、最速で敵を斬るのだという。

「それは興味深いな……! 是非話をきかせてくれ!」

巫剣の奥義の情報を本人の言葉で聞くことが出来る。
この記録は、かなり貴重なものとなるだろう。この調査は大成功だ。
だが、次の瓶割刀の言葉で、私は失敗を悟った。

「じゃあみせてあげるね」v 「えっ」

瓶割刀は、すっと目を閉じた。
ぞくり。
彼女の雰囲気が変わる。酔っ払い特有の陽気さは瞬時に消え、鋭い気配が漂い……。

「あの、ちょっと」

止めようとした私の言葉は……瓶割刀には届かなかった。

「夢想散華」

瞬間。
店内に置いてある酒瓶の口が、一斉に「斬れた」。
その太刀筋は、噂通り、全く見えなかった。

あの一瞬で、一体何本の瓶を斬ったというのだ。
しかも丁寧に、酒は一滴もこぼれないように、その口だけが斬れている。

「すごい……」
「へへー」
得意げにその豊かな胸を張った瓶割刀。
その背中に。

「お客さん……開けた酒は、責任持って飲んでもらいたいんですが」

居酒屋の店主が言った。この店主もまた、ただものではない。

「えっ、二人で……この量を?」
動揺する私を気にせず。瓶割刀はにこやかに言う。

「よっしゃー♪ じゃんじゃんもってきて♪ もちろん、ツマミもねっ」
「まいどありぃ!」

私の記憶は、ここで途切れている。

以上、御華見衆観察方より報告

特記:担当観察方は一ヶ月の減給に処す