
「Wait! そこの汽車! 待ちなさい!」
人影も見当たらない農道を1人の見目麗しい娘が走っている。
他ならぬ影打・水心子正秀その人だ。
ひどく焦っている様子だが、それに反してその肌は心持ちふだんよりもスベスベで赤みが差している。
一泊二日の温泉旅!
それが影打・水心子の体の状態を一段階上に引き上げていた。
だが旅館での寝坊と旅仲間による無慈悲ないたずらによって置き去りにされてしまった彼女にとってはそれも宝の持ち腐れ。見せる相手がいなければ美貌も意味をなさない。
「もう少し早く起きていれば!」
旅館で目覚めた彼女は鬼気迫る勢いで影打・長曾祢虎徹と影打・ソボロ助廣の後を追った。
だが最寄りの駅に着くと、今まさに汽車が発車してしまったところだった。
影打・虎徹と影打・ソボロを乗せた汽車を呆然と見送り、影打・水心子は少しだけ涙ぐんだ。
ホームにしゃがみ込んで膝を抱える。
「別にいいもん……」
自分にこんな仕打ちをしたあの2人には当然後できつい報復を行うとして、帰りは止むを得ず1本後の汽車に乗ることにした。
考えようによってはあの面倒臭い2人がいない帰路は静かで気楽で素晴らしいではないか。途中の駅でお弁当も買おう。
そのように気持ちを切り替えようとした影打・水心子だったが、しかし事態はそれすら許してはくれなかった。
周囲の田園、山々、民家の脇――至る所から突如として異様な気配が感じられた。
「これは……!」
禍憑の気配だ。
そしてそれらは小さくなっていく汽車を追いかけるようにして移動を始めていた。
「まさかあの汽車を狙っているの……?」
その時、影打・水心子の胸中にあったのは影打・虎徹や影打・ソボロの心配――などではなかった。
「What happen!? But……後から颯爽と現れてわたしがあの汽車を救ったら……」
肩を揺らして笑う。
「Excellent!! 私がもっとも優秀であることを証明する絶好の機会ね!」
功名心! あるのはそれだけである。
「ククク……。あの2人が泣いてわたしに感謝する様が眼に浮かぶわ! コテツ! ソボロ! 首を洗って待ってなさい!」
影打・水心子は駅前に出るや否や近くで馬を引いていた男に妖艶な笑みを浮かべて言い放つ――抜身の刀をぶら下げたまま。
「いい馬ね。それ……貸してくれるわよね?」
□
「スイシンシ。あんみつのお代わりいるか?」
「当然でしょ。早く注文して。ソボロ、お茶」
「はいはい~」
上野駅での騒ぎはその日のうちに号外となった。
記事にはこうある。
『死傷者は奇跡的にもゼロ。
乗り合わせた乗客の話では6名の麗しい乙女らが果敢に行動し、暴走した汽車を止めたとのこと――』
それはそれとして、影打の3人は一夜明けて東京でも特に人気のあるあんみつ屋に出向いていた。
「あん時スイシンシが間に合わなかったらきっと汽車も止められてなかったぜ。感謝感謝。ほら、あんみつ来たぜ」
「ホントホント~~」
影打・虎徹とソボロは店に入るなり影打・水心子をもてなすように両脇に座り、あれやこれやと世話を焼いている。
今回の諸々の件における『スイシンシへのお詫びと感謝のもてなし会』なのだそうだ。
「But doubtful……なんだか白々しいのよね。コテツ、本気でそう思ってるの?」
「あーあー思ってるぜー。オモテルヨー」
「わたしを置いて行ったことも反省してる?」
「シテルヨー。だからこうしてお詫びしてンだろ。ほら、アーンしてやろうか?」
「な、な……子供じゃないんだからそんなので喜ぶわけないじゃない!」
影打・虎徹からの思わぬ提案に影打・水心子は机を叩いて怒鳴った。
「あ、そう?」
「……で、でもまあ、どうしてもって言うならこのわたしに奉仕させてあげなくもないわ。あ……あ……アーン」
精一杯に意地を張り切った後で遅れて口を開け、あんみつの投入を待つ。
しかしいつまでたっても口の中に甘い味が広がることはなかった。
薄目を開けて確認すると、影打・虎徹はとっくに自分であんみつを平らげてしまっていた。
「なんでコテツが食べちゃってるのよ!」
「な、なんだよ。テメェがいらねえって言うから……。机ドンドン叩くなよ」
「いらないとは言ってないでしょ! アーンをしなさいよアーンを!」
「分かったよう。アーン」
「そ、そ、それは今あなたが口をつけたスプーンでしょ! そんなのでアーンなんかした日には……か、か、か、間接キ……!」
「いい加減にしろォー! テメェ! 食うのか食わねえのかどっちだッ!」
「机をドンドン叩くんじゃないわよ!」
プリプリと怒りの収まらない影打・水心子に背を向けて影打・虎徹はソボロに耳打ちする。
「オイ、こいつ怒らせるとやっぱ面倒くせーヤツだぜ。何にキレるのか全然分かんねえぞ」
「そう? わたくし様はそんなところが見ていて面白いけれど。と言うか、コテツと喧嘩してる様子がサイコーに面白いわ~♪ 眼福~♪」
「テメェも大概いい性格してんな……」
「ありがと~♪」
長曾祢虎徹、ソボロ助廣、水心子正秀。それぞれの影打たちは甘味で力をつける。
いつか誰もが無視できない大きな存在となるために。
以上、御華見衆観察方より報告