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巫剣観察記

庖丁三姉妹

庖丁三姉妹

その日、私は非番で朝から歌舞伎でも見ようと出かけたところだった。観察方として日々死線を潜っている私のような人間には、たまには安らぎのひと時が必要なのだ。
死線ってどんなものなのか、具体的にはよく知らないけれど。
けれどふつうに道を歩いていてもつい行き交う人を観察してしまう。一種の職業病と言えるかもしれない。
そうしていると道端でやいのやいのと言い争う3人娘に目が止まった。

「えー、右だよ! 絶対右に行ったってば!」
「左ですわ! わたくしの目に狂いはありません!」
「わ、わたしはまっすぐだったと思うんだけどなぁ」

3人は見た所同じくらいの背格好で、それぞれ色違いの服を着ている。

「だいたいここまで来て御影ちゃんを見失うなんて……。ほー姉様が野犬と喧嘩なんて始めるから……」
「子猫がいじめられてたんだからしょうがないでしょ。それにぬーだって子猫に夢中になってたじゃん。とろけたような顔で語尾ににゃ~とかつけちゃって」
「そ、そ、そんなわけにゃいですわ!」
「2人とも喧嘩しないでよ~」

どうやら三姉妹らしい。何事かで揉めているようだが、そんな姿ですらずっと見ていられそうなほど愛らしい3人だ。

「ねえ、あの人に訊いてみようよ!」

だが人ごとのように眺めていると突然そのうちの1人、赤いリボンの少女がこっちに走り寄ってきた。

「あ、すー姉様! ちょっと!」
「聞き込み調査だー!」

1人につられる形で他の2人もワラワラと集まってくる。カルガモの子供みたいだ。

「あ、あの~」

赤いリボンの少女が恥ずかしそうな上目遣いで私に声をかけてくる。純粋にかわいい。

「どうしたのかな? なにか困りごと?」

少し膝を折って対応する。

「めいじ館ってどっちですか? わたしたち、道に迷っちゃったんです」

そのよく知る建物の名前に一瞬驚いたが、すぐに合点が行った。めいじ館は世を忍ぶ仮の姿として巫剣たちが営んでいる洋風茶房だ。この三姉妹はそこの甘味目当てのお客様なのだろう。

「そう。迷っちゃったんだね。大丈夫だよ。ここからそう遠くないし、案内してあげよう」
「ありがとうございます!」
「おー! お姉さん太っ腹!」
「さすがすー姉様。いい方に声をかけましたね!」

道案内を買って出ると三姉妹はパッと花のような笑顔を見せて、人懐っこく私にまとわりついてきた。

「ああ……こんな妹たちと生きてみたかった……」
「お、お姉さんどうしたの?」

危ない。心の声を聞かれてしまうところだった。

「なんでもないよ。こっちこっち……」

もう歌舞伎のことはすっかり忘れていた。
けれど私という人間の特性なのか、いいことがあるといつも揺り戻しで悪いことが起きる。
背後でうなり声が聞こえたのだ。

「グルゥゥオオオオウウ……!!」

まさか禍憑!?
ゾッとしながら振り向くと――そこにいたのは3匹の野犬だった。

「あ! さっき追い払った野犬だ!」
「数が増えてるよ~……!」
「仲間を呼んできたようですわね!」

三姉妹がわちゃわちゃと慌てている。

「みんな後ろに隠れて」

私はとっさに三姉妹をかばうように前に出た。禍憑ではないとわかって若干拍子抜けしたのは事実だったが、それでも安心はできない。野犬とてこの少女たちにとっては充分危険な存在だ。
そう思ったのだが――。

「お姉さん、下がっていてくださいませ!」
「3対3だね!」
「ほーちゃん、ぬーちゃん! わたしたちの力を見せるよ!」

彼女らはためらいもなく私の前に飛び出していった。各々その手に短刀を握って。

「あれは刀……!? まさかこの子たち……!」

三姉妹はぎこちないながらも互いに連携を取って野犬を翻弄した。

「ほーちゃん、気をつけて!」
「わかってる! ぬー、相手はワンちゃんなんだから峰打ちだよ」
「言われずとも心得ていますわ!」

3対3の乱闘はしばらく続いたが、率いていた1匹が戦意を喪失したことで決着がついた。

「うう。コケて膝すりむいたよー……」
「死闘でしたわね……」
「もう悪さするなよー!」

逃げ去っていく犬たちに手を振る三姉妹。

「ちょっとびっくりしたけどもう大丈夫です。お姉さんは大丈夫でしたか?」
「ええ……。それよりあなたたちって一体……」
「ほら、そんなことよりめいじ館に急がないと!」
「そうでしたわ!!」
「御影ちゃん、もう着いちゃってるかも!」

一心地ついたと思ったらまた騒ぎ始める。元気な子たちだ。

「……ちょっと待って。御影ちゃんって?」

それは聞き覚えのある名前だった。

「あ、御影ちゃんっていうのは天目のお屋敷の子で」
「天目……御影? それって鍛治師の家の……」

天目家は御華見衆の中で鍛治仕事を請け負っている特殊な家で、観察方の私もその存在を知っている。
こんな年端もいかない少女たちの口からその名が出たことが驚きだった。

「あなたたち、まさか巫剣……」
「あ、自己紹介が遅れました。わたしは透し正宗」
「次女の庖丁正宗! ほーちゃんでいいよー★」
「わたくしは三女のほりぬき正宗ですわ。どうぞよろしくお願いいたします」
「その名前……」

この子たちは巫剣?
けれどそんな名前の巫剣がいるなんて私は知らない。もちろん上からも情報は下りてきていない。
まだ観察方も把握していない新たな巫剣――。
もしそうなら、これは早急に情報を集める必要がある。

「お、お姉さん!」
「あ、ああごめんね。考えごとしちゃってて。それじゃ行こうか」
「そうじゃなくて後ろ後ろ!」
「え?」

強く袖を引っ張られて後ろを見ると、道の向こうから再び野犬がこっちに駆けてくるのが見えた。
その数は10匹以上に増えていた。

「また増えたぁ!!」
「しつこいですわ!」

やられた野犬がさらに仲間を呼んで仕返しにやってきたらしい。

「さすがにあの数は無理だよ! に、逃げよう!」
「賛成ですわ!」
「走って走ってー!!」

本当に巫剣ならどれだけの数だろうとふつうの犬相手に遅れをとるようなことはないはずだが、彼女らは闘争ではなく逃走を選択した。その慌てようはどこからどう見てもふつうの少女のように見えた。
この三姉妹の真の実力はいかほどのものなのか。早急な調査が求められる。

以上、御華見衆観察方より報告