
猫の行動範囲は思いの外狭いと聞いたことがある。
猫の額ほどの庭、などという、猫の額の狭さからきた言葉もある。おまけに猫は狭いところも好きだ。
狭いことづくしだが、では心も狭いのだろうか?
自由気ままな巫剣、厚藤四郎についての報告書をまとめよと上司から言いつけられて、私は午後一番でめいじ館の洋風茶房へと赴いた。
事前に当たりをつけておいた席へ目をやると、いた。下調べのとおりに、いた。
窓際の一番日当たりのいい席に厚藤四郎が座っている。
小さな体をさらに小さく丸め、目を細めて日差しを浴びている。
「あ、あの~」
気持ちよさそうにしているところを邪魔するのは気が引けたが、これも任務と思い、おずおずと声をかける。
「ここ、相席いいですか?」
目の前でゆっくり手を振って見せ、こちらの存在をアピールすると厚藤四郎はピクリと動いた。そして薄く目を開けてこちらを視認する。
そして私はそのまま……無視された。
ええっ? 無視!?
それどころか微妙にそっぽを向かれたような気さえする。
警戒されているのだろうか。
だがここで気後れするわけにはいかない。図太い気持ちで私は同じテーブルについた。
どうぞと言われてはいないが、ダメとも言われていないのだ。だったら好きにする。
「い、いやあ、今日はいい天気よねえ」
とりあえず挨拶代わりに天気の話などをしてみる。だが反応はなかった。ひとり言として処理されてしまった。
「ええっと……あなたはいつもここで日向ぼっこしてるの? アハハ、奇遇ね。実は私も日向ぼっこが大好きで」
そこで初めて厚藤四郎が反応らしい反応を示した。
「それはもう、最良のポカポカ日差しを探して色んな場所を巡ったものよ。そうしたら今一番暑い……もとい、あったかい陽だまりスポットがこのお店にあるって噂に聞いてやってきたの。そう、それがこの席!」
すべてたった今勢いで考えたデマカセだった。けれど、効果は抜群だった。
「お姉さん、分かってるね! あ、ボク厚藤四郎って言うの。よろしく~」
「う、うん! よろしく!」
厚藤四郎はさっきまでの塩対応が嘘のように身を乗り出してくる。その勢いに若干気押されてしまった。
「そっかあ、それでお姉さん、強引に相席してきたんだね。それならそうと言ってよう!」
「ご、ごめんね~。お姉さん、ここの日差しの眩しさに目が眩んでちょっと強引になっちゃった」
「わかるよ! この時刻にここでする日向ぼっこ、最高なんだよね~。なんて言うか、日差しの質が高いっていうか、まろやかっていうか……愛情深いんだよね~」
とろけるような顔で日差しのウンチクを語っている。話を振っておいてなんだけど、ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分からない。
けれど、ともかくこれで厚藤四郎の警戒心は解けた。
「あとはここに箱さえ用意しといてくれたらもう言うことないんだけどな~」
「箱?」
「そう、箱。ボクの体にぴったりしっくりくる寸尺の箱」
もっと何を言っているのか分からなくなった。
「箱で何をするの?」
「入るんだよ」
「入る」
「すっぽりと」
「すっぽり」
会話が止まった。
思考を整理するのに5秒ほどかかった。整理しただけで、理解も共感もできた訳ではないけれど、まあ細かいことはいい。とにかく厚藤四郎は日向ぼっこと同じくらい箱に入ることが好きらしい。それでいいじゃないか。別に誰も不幸にはならない。
「落ち着くんだよね~箱の中。あの狭さ、あのほどよい圧迫感!」
箱の素晴らしさについて語る厚藤四郎はそのまま両手をみょーんと伸ばし、背伸びをした。さらにそのまま上半身を前に倒し、テーブルに突っ伏してしまう。
「ああ~、体がポカポカするう」
自由だ。とても自由な子だ。
そんな様子を見ていて、私の脳裏に想起される生き物があった。
日向好きで、箱に入るのが好きで、人前でも構わず大胆に伸びをする自由さ。
思わず口をついて出てしまう。
「あなたって、まるで猫みたいね」
感じたままを口にした。もちろん、愛らしいという意味を多分に含んだ好意的な言葉としてだ。
けれど厚藤四郎は私の言葉を耳にするなり勢いよく起き上がった。
「失礼なっ! ボクは猫っぽくなんかないよ!」
「ええっ!?」
かなり分かりやすく猫要素を積み上げていたような気がしたのだが、そこはきっぱり否定するんだ。
厚藤四郎、扱いやすいのか難いのかよく分からない。
これはあまり迂闊なことは言えない。この後の話の展開には気をつけなければ。
「ご、ごめんね。そうだね、猫なんかじゃないよね! そうだ、お姉さんお詫びに何か飲み物奢るね!」
「え? ホント!? やったー!」
あっという間に機嫌が直った。なんと分かりやすい。
厚藤四郎は運ばれてきた茶をチロチロと小さな下で舐めている。
「あっ! 舌火傷したあ……」
やっぱり猫だ。絶対猫だ。
さっきから何かと翻弄されている気がするが、とにかく厚藤四郎についてかなり情報が集まってきた。初日としては充分だろう。
そろそろこの場を辞して、残りの調査はまた後日に……。
と考えていると、不意に日が陰った。
顔を上げると、空に雲が出始めていた。
そのまま、あれよあれよという間に雨雲が太陽ばかりか青空までも覆ってしまう。
「あれえ」と残念そうな顔で空を見上げる厚藤四郎をよそに、とうとう窓にポツリポツリと雨粒が当たり始めた。
「あらら、急にお天気が崩れてきたね」
慰めるようにそう言うと、厚藤四郎はいくらかシュンとした面持ちでこちらを見た。
「どうしたの?」
「だって……近所の見回りもあるし、もうそろそろ店を出ようと思ってたのに、雨が……」
私は改めて表に目を向けた。雨脚はどんどん強まっている。
「雨、嫌いなの?」
「っていうか……ちょっと、水がヤダ。でももう随分長くここで日向ぼっこしてたし……これ以上1人でグータラしてたらあるじに叱られる……」
あからさまに憂鬱そうだ。
理由は分からないけれど、とにかく厚藤四郎は水が苦手らしい。
また会話が途切れた。
気づけば店内の客足は減っており、しきりに聞こえていた喧騒も随分静かになっていた。
しばし考えた末に、私は追加のお茶を注文した。私自身の分と、厚藤四郎の分。
「へ? どうして?」
「別に。私も雨は苦手だから、ここでもう少しゆっくりしていこうかなって思っただけだよ」
「もう少しって、どれくらい?」
「そうね。雨が止んで、またお日様が顔を覗かせるまで。その間、1人じゃ退屈だから、付き合ってね」
「し……しょうがないな~! ボクこれでも忙しいんだけどね! お姉さんがどうしてもって言うなら! も~! しょうがない! 付き合ったげるよ!」
あ~あ、またテーブルの上でゴロゴロして。
本当に分かりやすいったらない。
「なんたって、ボクは心が広いからね!」
さて、雨宿りの間、厚藤四郎から他にどんなことを訊き出そうか。
時間はたっぷりある。
以上、御華見衆観察方より報告