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巫剣観察記

雲落とし

雲落とし

花の雲、鐘は上野か浅草かと詠んだのは小林一茶だったか――いや松尾芭蕉だったかもしれない。
四月某日、上野の公園のあたりではすっかり桜花満開、春爛漫といった景色。赤ら顔で故郷の舟歌などを陽気に歌う人々で溢れかえっていた。
その中にはかの御華見衆の美しき刃、巫剣たちの姿も見られた。日頃任務で忙しい巫剣たちだが、声を掛け合って集まったらしい。彼女たちもやっぱり乙女、華やぐ季節には桜の1つも愛でたいのだろう。

「いいなあ。楽しそう。料理とかたくさん持ち寄っちゃって。いい匂いしそう」

私はというと、そんな楽しげな様子に背を向けて公園から離れつつあった。
なぜか。
それは現在の調査対象である巫剣・雲落としの姿がそこに見当たらなかったからだ。

「てっきり花見に参加してるものだと思ってきたのに。どこにいるんだろう?」

あてもなくそのまま探し歩いて隅田川まで出てしまった。
公園のあたりほどではないにせよ、川沿いの桜並木もなかなかのものだった。
ふと見ると、まだ二十歳にも届かなそうな青年が川べりに立っている。

「春の陽気の隅田川……。うーん、違うなあ。春の霞の……」

気難しそうな顔でなにかに酷く思い悩んでいる様子 。俳句でも詠もうとしているのだろうか。

「うららの……ん? 春のうららの……か。悪くないな。春のうららの隅田川。うん! これはぜひ滝くんに伝えてやらねば」

そんな青年の横を通り過ぎてさらにとぼとぼ歩く。
歩いて歩いて、とうとう桜並木の終わりに突き当たってしまった。

「あ!」

そして思わず指を差す。
私には並木が終わってしまったことよりも、目の前にいる人物の方が重要だった。
並木の端っこの最後の1本。その下に雲落としは立っていた。
彼女はその桜の下で――踊っていた。舞っていた。
いや違う。雲落としは自らの剣を抜いてそれを振るっている。あれは剣舞だ。
鋭利な音を立てて虚空を斬っている。いや、あれは――。

「花を――?」

驚愕した。彼女は斬っていたのは空気ではなく、ひらひらと舞い降りてくる桜の花びらだった。
次々と、次々と。
その様子の美しさは私と同様、道ゆく人も頭上の桜花を忘れて見惚れるほどだ。

「おや、これはすまないことをした。こんな往来で気ままに剣など振るってしまって。道ゆく君。私が通せんぼをしてしまっていたか?」

見つめるこちらの視線に気づいて雲落としが剣を止めた。しまった。普通に立場を忘れて見入ってしまっていた。

「ああ、いえ! 私は平気です!」
「そうか」
「す、すごいですね今の。舞い降りてくる花びらを斬ってたんですよね?」
「え? いや、さすがにそんな器用な真似はできない。斬れたらいいなと思って挑戦していただけだ。ほら、別に斬れてない」

彼女は足元に落ちた花びらを指す。

「あ、そうでしたか……」

てっきり達人の技を披露していたのかと思ったのに。
雲落としは剣を鞘に収めると改めて私に向き直った。

「舟、乗りたいな」
「はい? 舟、ですか。ああ、隅田川の」
「うららかな日和だからね」
「はあ」

いきなり話が飛んだ。

「あの、こんなお花見日和の日に1人……ですか?」

と、同じく1人でしかも仕事中の私が尋ねてみる。
雲落としは少し照れ臭そうに爪先で地面を蹴った。

「実は今日は仲間から花見に誘われていたんだが。ほら、向こうの公園の」
「ああ」

やっぱり彼女もあの集まりに呼ばれてはいたのか。

「ならどうして?」

こんな離れたところで剣舞を?

「つい、ね」
「つい、ですか」
「性分なんだ。いつもこう、ふらっと1人で行動してしまうんだよ。仲間といっしょにいるのは心強いし楽しいけれど、1人で川沿いを歩きたいなとそう思ったらそれを優先してしまうんだ」
「自由な人――なんですね」
「できればそうありたい。勝手気ままなだけかもしれないけど」
「でもそういうのって私は憧れますよ。なんにも縛られない生き方なんて」

私の場合、仕事が生き甲斐にもなっているけれど、やっぱりそれに縛られている部分もある。

「桜の花びらは強いだろう?」
「え?」

また話が飛んだ。

「ひらひらと舞って捉え所がなくて、次にどういう軌道を見せるか予想がつかない。だから私などがいくら研鑽を積んでも、ただの1枚もこの刃で捉えることができないんだ。そういうものの自由さと強さを私は学びたい」

そう言って雲落としは桜と、その向こうの空を流れる雲を見上げた。
確かに、今日の陽気はどこまでもうららかだ。

「……って、あれ? あ!」

その時、私は自分の足元にあるそれを発見して、思わず膝を折って指差した。

「ちょっと待った。あの! これ! 見てくださいこれ! 花! この1枚だけ斬れてませんか? 綺麗に、真っ二つ!」
「本当か? 斬れたのか? それはうれし……いや、でも参ったな。それじゃ今私が話した花びら最強自由説が覆されてしまうことに……」

雲落としはうれしそうでもあり、複雑そうでもある、なんとも微妙な表情で頭をかいている。
その表情で、私はなんだかこの巫剣のことがわかったような気がした。

「しかし……まあ、深く考えるのはよそう。悩みに心をとらわれては元も子もない」
「ふふ。そうですね」
「さて、名前も知らない道ゆく君。せっかくだ」

隅田川の流れに乗って、勢いよく舟が私たちの横を通り過ぎて行った。

「五平餅でも食べるか? 花でも見ながら」

また話が飛んだけれど、私はもう戸惑ったりしなかった。

「いただきましょう!」

以上、御華見衆観察方より報告