
私は緊張していた。なぜか。
私が新人の観察方で、これがはじめての本格的な任務であると同時に最終試験だからだ。厳しい修練の日々の成果が試される時が来たのだ。
任務はもちろん、巫剣の観察。
「観察対象は……『鬼神丸国重』だ」
上官の言葉に、私の緊張はさらに高まる。
「あ……あの『鬼神丸国重』ですか!?」
巫剣の情報は重大な機密である。正確に知るものは少ない。だがそれでも、彼女が幾度も死線をくぐりぬけた百戦錬磨の巫剣であることは知っていた。
私はその性格を想像してみる。
厳格であることは間違いないだろう。どんな時も隙を見せず、常に敵の存在を警戒し続ける。そんな巫剣に違いない。
「いやー、ひさしぶりの休みでこの天気……! これはもう行くしかないよね!」
早朝、鬼神丸国重は誰も聞いていないはずなのに、大きな声で一人宣言した。
楽しそうな声色だが、どこへ行くというのだろうか。
本人の言葉通り、今日は鬼神丸国重は休日のはずだ。
(しかし、休日といえども、彼女ほどの剣客であれば常在戦場。血なまぐさい休日を過ごすに違いない……鍛錬や試合だろうか)
「えーと、竿も持ったし……餌も持ったし……忘れ物はないよね」
一つ一つ指さして確認する鬼神丸国重。
持ち物は袋に包んだ長物と、竹を編んだ籠。そして、小さな包みである。
(おそらく、「竿」というのは武器の隠語だろう……。それにしては軽そうに見えるが、巫剣の膂力ならば軽々と持てるのかもしれないな……「餌」というのはなんだろう)
詳しくわからないが、穏やかではない雰囲気のただよう符丁だ。
(その秘密……観察してみせる!)
私は尾行を開始した。
鬼神丸国重は、川沿いをどんどん山の方へと向かっていく。ついていくのがやっとという健脚である。山へ近づくにつれ、川は細くなり、渓流となる。当然、人気は次第に少なくなっていく。
しまった、と思ったのも後の祭り。
人里を離れた道を歩くのは、私と彼女の二人だけになっていた。
当然、鬼神丸国重はこちらの存在に気がつく。
「きみさぁ……」
(しまった、観察対象に話しかけられてしまうとは)
私は、任務の失敗を覚悟した。
「……ど、どうも」
「ずっと一緒に歩いてたよね?」
私の追跡はとっくにバレていたらしい。流石に歴戦の巫剣である。
鬼神丸国重はじとっと鋭い目つきをして、さらに質問してきた。
「やっぱり、あたしと一緒で狙いはアレ、だよね?」
アレ。アレとはなんだろう。
どうやら、彼女はそれを狙ってこんな山の中までやって来たらしい。
私は観察方としての訓練を思い出す。
たしか、こういう時はひとまず話を合わせてみるのだ。その結果、情報が得られるかもしれない。
「そう、アレが狙いです」
私がしたり顔でうなずくと、鬼神丸国重は溜息をついた。
「うーん、この渓流に狙いをつけるとは……穴場のはずなんだけど……む、ひょっとして、あたしのこと尾行してた?」
ぎく。
ここまで直球で聞かれると、言い逃れのしようがない。
「バレましたか……ええ、尾行していました」
「まあ、こんな格好して歩いていたらバレるかあ」
そう言って、竹の編み籠を振る鬼神丸国重。
私は思い出した。あの籠は、たしか「魚籠」というのではなかったか。
その使い方は、文字通り……。
「ま、渓流は誰のものでもないしね、一緒に釣ろうか!」
釣った魚を入れるためのもの。
私は気付いた。
鬼神丸国重は、川で釣りをするためにここまで来たと言っているのだ。
(いや! 騙されてはいけない!)
鬼神丸国重ほどの巫剣であれば、これが単なる「釣り」なわけがない。
なにかの修行か訓練……もしくは実戦のはずだ。
「いやあ、この時期はやっぱり渓流釣りだよね! 海釣りもいいけど、あたしは川魚のほうが好きだな」
「は、はあ……ですよね」
そう言いながらうきうきと渓流に竿を垂れる鬼神丸国重は、どう見ても単なる釣り人だった。なんと凄まじい演技力だろう。
(なるほど……そういうことか!)
私は気付いた。
鬼神丸国重はこうやって、単なる釣り人のふりをして油断を誘い、敵をおびき寄せているのだ。
「ふふふ……よーし、釣るぞー! ところで……そっちは釣らないの? よくみたら、竿も持ってないし」
鬼神丸国重の指摘に、私は慌てて言い訳した。
「い、いえ……それはその……初心者なので、持っていなくて」
「初心者……あ、さては、竿なんてそこらへんでひろった竹で十分だ、とか思ってたり?」
「そ、そうなんです。こういう竹でいいんじゃないかなって」
私はそういって話を合わせ、とっさに付近の藪から一本の折れた細い竹をひろう。
「わかってないなあ……まあ、あたしも昔はそう思ってたけど。でも、上級者になると分かるものなんだよね、竿にはしなりが大事……そこらへんの竹じゃあダメだってことが」
鬼神丸国重は得意げに語る。こちらが釣り初心者だというのが妙に気に入ったらしい。
「あれ……でも、糸も針もないよね? 魚籠もないし」
「そ、それは忘れてしまいまして……初心者なので」
「そっかあ……初心者だもんね。あたしも初心者の頃は、色々忘れ物したなあ! やれやれ、初心者はこれだからぁ~~」
ニヤニヤ、と「初心者」を強調して話す。
どうやら、ごまかせたらしい。
「しょうがないから、あたしが教えてあげるよ! 釣れた魚は私の魚籠に入れればいいから!」
鬼神丸国重は、ぽん、と胸を叩いてにっこりと笑った。
「こんな風に糸をつけて……餌は針にこれくらいで……」
鬼神丸国重は懇切丁寧に釣り方を指南してくれる。
「こうですか……おっ!?」
彼女の言う通りにすると、すぐに当たりが来た。
「わっ!? 釣れましたよ!」
「はやっ!?」
最初の一匹だけではなく、その後も入れ食いで、私は次々に魚を釣り上げた。
「いやあ、指導のたまものです」
任務中とはいえ、ここまで釣れると楽しくなってしまう。
私は鬼神丸国重へ礼を言った。
「そ、そうでしょ! ……あたしは全然釣れてないけど」
「なにか言いました?」
「べつに!」
しかし、忘れてはいけない。
あくまで、鬼神丸国重が釣りをしている、というのは敵を騙す演技なのだ。
その証拠が、しばらくして明らかになる。
「全然釣れない……なんで……? そっちは釣れているのに」
しょんぼりとする鬼神丸国重。
肩を落として震えている彼女は、まだ一匹も釣れていなかった。
やはり、と私は確信する。
鬼神丸国重は実際に釣りをしているわけではないのだ。
そうでなければ多少は釣れているはずである。その証拠に、初心者な上にそこらへんの竹に糸を付けているだけの私のほうは、すでに魚籠がいっぱいになるくらいに釣れているのだ。
だが、これほど明白な状況になっても、鬼神丸国重は釣り人の演技をやめる気はないらしい。大したものである。
しかし、このあたりが潮時だろう。あまり長時間観察対象に接するのは危険だ。
「そろそろお暇しようと思います……あ、釣れたお魚は好きにしていただいていいですよ」
観察を切り上げようとする、私の言葉を聞いて。
「釣り初心者に……負けた上に……情けをかけられるなんて……!」
鬼神丸国重はがっくりと項垂れた。
このように、鬼神丸国重は恐るべき演技派で、特に釣り人の芝居に関しては驚異的である。なお、休日に渓流に出かけた理由は不明。
以上、御華見衆観察方より報告
【特記事項】
本観察は担当観察方の最終試験として行われた。
該当特務巫剣からは「演技じゃなくてホントに釣れなかっただけ」との報告が上がっており、この点を見抜けなかったことから担当観察方の能力はまだ未熟であると思われる。より一層の研鑽は必要だが、及第点とする。
なお、該当特務巫剣の「ただし、試験にかこつけて釣りにいっただけとか、途中から結構マジで釣りに夢中になってたとかいうことは決してない」という報告については信憑性に疑義がもたれる。