
渋谷駅で電車を降りる。
表へ歩み出ると目の前を野犬が3匹、戯れながら横切って行った。
「ここが渋谷村かぁ」
私は唐草模様の風呂敷包をドスンと地面に降ろし、改めて周囲の景観に目を凝らした。
「……なんにもない……」
建物らしい建物もなく、人気もない。広がるのは田園風景。他に遠くの方に牧場らしきもの(あるいは茶畑)がうかがえるが、もしかするとあれは蜃気楼かもしれない。――と考えてしまうくらいには、なにもなかった。
「本当にこんなところにいるのかなぁ」
私は不安な気持ちと風呂敷を抱えたまま当てもなく駅周辺を歩き回った。遠くに、たった今乗ってきた列車の煙が見えた。
今回の観察対象は本日、この村に来ていると話に聞いて足を運んだのだが、情報に間違いがあったのかもしれない。
「帰ろうかな……」
思わず呟いたとき、前方に人影を見た。思わず「あ」と声が出た。
あの派手な出で立ち。金ぴか。あれはもしや――。
急ぎ足で歩み寄り、相手に声をかけた。
「あの……!」
「え? わーし? なんか用?」
その愛想もそっけもない対応に気圧されたが、間近で見て確信を得た。
いた。本当にいた。
全身の随所に施された金色の装飾。それにも劣らず眩しい黄金色の長い髪。
派手な中にも気まぐれさと、どこか気だるさの同居した目元。
間違いない。彼女こそが観察対象である巫剣の金地螺鈿毛抜形太刀だ。
「あの、私、田舎から東京へ出てきたばかりなんですけど……右も左もわからず、とりあえずそこの駅で降りてみたものの、どうすればいいかわからなくって……」
私は風呂敷包を見せ、彼女の素性など一切知らないフリをしてそう切り出した。今の私は上京したての田舎娘だ。そう己に言い聞かせる。
「上京してすぐ道に迷ったのー? ウケるー」
「う、受ける? なにをでしょう??」
「君の状況は飲み込んだー。受け取ったーってことー」
「はぁ……」
独特な言語感覚をお持ちの人だ。
でもここで引いてはいられない。ここで彼女の特性を少しでも引き出して情報を持ち帰るんだ。
「困っていたところ、あなたの姿をお見かけしまして」
「わーしのことはらでぃーちゃんでいいよー」
「ら、らでぃ……ちゃん」
負けるな私。
「そ、それでですね! おしゃれでまばゆいその姿に、この人は間違いなく東京の先端を行くハイカラ娘さんに違いない! この人に尋ねれば東京のことはなんでも教えてもらえるに違いないと思ったんです!」
口にしながら、我ながらこれはかなり強引な話だなと思ったのだが、らでぃーちゃんは気にしていないようだった。
「えー? わーしが? おしゃれ? マージか~。照れるにゃ~」
それどころかご機嫌な様子だ。
「ま、それほどでもあるけどね。恋におしゃれに遊びに。わーしは現代(いま)を生きる最先端ぎゃーるだし」
「ぎゃーる?」
「ガールのも一つ上の存在にゃ」
絶対嘘だ。ちょっと顔が赤くなってる。今の、絶対「ガール」って言おうとして噛んだだけだ。
「あれ? でも、そんならでぃーちゃんがどうしてこの渋谷村で佇んでいたんですか? こう言ってはなんですけどここ、お世辞にも栄えているとは言えない場所ですよね?」
「んー、確かにそーかもしんないけどー、わーし的には渋谷ってなーんかビビッとくるんだよねー。だから通ってんの。今は浅草とか銀座に勢いがあるけどさー、わーし的にはゆくゆく渋谷が東京の中心になる日も来るんじゃないかって思ってんだー。ぎゃーるの予感ってやつ」
あ、もうぎゃーるで押し通すんだ。
「ゆくゆくここが……ですか?」
ちょっと想像がつかない。
「ざっと百年後くらい?」
「なかなか遠いですね」
「いやー、あっという間でしょ。なんやかんやで江戸時代もすぐ終わっちゃったし」
「歴史観が私と違いすぎる!」
すでに話はかなり脱線しているのだが、興が乗ってきたのからでぃーちゃんはトトトッと向こうに駆け出すとその場で両手を広げて見せた。
「きっとそのうちこの辺に大きな交差点とかできると思うなー。で、西洋人がこぞって見物に来んの。でー、恋人同士がこの辺りで待ち合わせるわけよー。いいよね~! 楽しみー! ウケるー!」
ウケるーの用法が全く理解できない。あるいは理解するものじゃなく、感じるものなのだろうか。
「その頃にはここはもう村どころじゃなくなってるよ。きっとねー」
「ら、らでぃーちゃんは先見の明があるんですねー」
だからと言ってまだなにもない今の段階から渋谷村に通い詰めるというのは、さすがに気が早すぎると思うのだが。
「今から渋谷に目をつけているというのはよくわかりました。でも、1人でここにいて退屈とかしないんですか?」
「え? しないよ? なんで?」
「なんでと言われましても……」
「あ、やっぱ渋谷のことあなどってるでしょ。マジムカつくー。真剣ご立腹~!」
「いえ、そういうわけでは」
「ここは人が少なくて静かだし、余計な建物がないから雲の流れもよく見えて、結構心が和むんだよー。あとねー、ツツジの木の葉っぱが風にそよぐ様子とか、その音とか、わし的には飽んのよなー。それにな、牧場の向こうには茶畑もあって、遊びに行くと美味しいお茶を淹れてくれるのだ。これがまた大層美味で五臓六腑に染みる。身も心もポカポカじゃ」
「お茶でポカポカ……ですか」
渋谷に発展して欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだろう。
「それで眠たくなったら日向で目を閉じ、うつらうつらと船を漕ぐ。現世の喧騒を忘れてのう。これに勝るものはなかなかないわ。この良さがわかるか?」
「わ、わかるような気はします。しますけど……」
「なんじゃ?」
「さっきからその……言葉遣いが……なんか……ヘンというか。言ってることも終始おばあちゃん味があるというか……お年寄りっぽいというか……」
「………………ひぅ」
指摘した途端、らでぃーちゃんの顔が真っ赤になった。
「な、な、なに言っちゃってんの!? そんなことあるわけないし! わーしがお年寄りっぽいとか……ありえないし! あーあ、ブチ上げてしゃべり過ぎちゃったー! 畑に行って新茶でもキメてこよーっと! じゃあね! おつかれ~!」
「あ、あのー! ……行っちゃった……。触れちゃまずい部分……だったのかなぁ。だったんだろうなぁ」
結局上京したてで困っている私への明確な助言は一切なかったけれど、洪水のように好きなことを語ってくれたおかげで、らでぃーちゃんこと金地螺鈿毛抜形太刀のことを随分理解できたように思う。
「さて……と」
このまますぐに本部へとって返してもいいのだが――次の電車まではまだ時間がある。
せっかくだしここは一つ、この起伏豊かな谷の土地を散策しながら、百年後に想いを馳せてみるとしよう。
嘘のように人でごった返す交差点を、若い男女が楽しそうに歩いていく。
その中には楽しげならでぃーちゃんの姿も。
そんな妄想をした。
以上、電車を乗り過ごしてしまった御華見衆観察方より報告