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巫剣観察記

千子村正

千子村正

私は緊張していた。
熟練の観察方である私が、これほど緊張するのはなぜか。
それは、今日の任務は「千子村正」の調査だからだ。

「村正」。
そう、「妖刀」として有名な、あの「千子村正」なのである。
事前に調査したところ、様々な噂を聞くことが出来た。

「ああ、なんか不気味な呪文を唱えて呪いをかけるらしいですよ」
「呪文? ……面妖な」
「変な呪文を唱えているのを聞いたものがいるとか」

さらに奇妙な噂もあった。

「子分として多数の妖怪を従えているらしいです」
「妖怪? ……禍憑のことか?」
「その上、子分の妖怪には見ただけで発狂するほど恐ろしい姿をしたものもいるそうで」

私はぞっとする。

「そ、そんな存在を子分として従えている、というのか……『妖刀』の名は伊達ではない、ということだな……」

これで、私がこれほど緊張している理由は分かってもらえたと思う。


私は通常より慎重に隠れながら観察を行うこととした。

「……! ……いた!」

私はほどなく千子村正を発見した。
後ろ姿でも、すらりとした美しい少女である。

(とても妖刀には見えない……)

彼女はその美しさで街の往来でも目立っている。
その色香に惹かれたのだろうか、若者が後ろから話しかけた。

「ねえねえ、お姉さん、一緒に市を巡ろうよ」
「……そういうの、困ります」
「いいじゃんいいじゃん、ほら行こうよ」
「やめてください……」

嫌がる千子村正の肩を若者は引いた。

千子村正が振り返り……彼女が胸の前に抱えていたものが見え……。
若者の絶叫が往来に響き渡った。

「ひいいいいいいいいい!!! 助けてくれえええ!!!!」

若者は全力で逃げ出した。
隠れて観察する私からも、若者が怯えた原因となったものが見える。

(ぎゃああああ!!! なんだあれは!!!)

あやうく悲鳴をあげそうになりながらも必死でこらえる。
それは、おぞましい「動物のようななにか」だった。
つなぎ目だらけの体。
頭から伸びた不気味な角。
どんよりと曇った瞳。
恨みに満ちたその表情。
私は気付いた。

(「子分の妖怪には見ただけで発狂するほど恐ろしい姿をしたものもいる」……あれのことか!!)

「あ、えっと……」

ぽつん、と取り残される千子村正。
彼女は抱えたその「何か」に向かって話しかける。

「怖がられてしまいましたね……こんなに可愛い鹿の人形なのに」

私は耳を疑う。
鹿の……人形……?
あの……世界に存在する邪悪を寄せ集め、煮詰めたかのような存在が、鹿の人形だというのか?
言われてみれば、鹿のように見えなくもない。
角は生えているし、継ぎ接ぎが多すぎてどこがどうなっているのかよくわからないが、おそらく四本脚だし……。
他に鹿に似ている要素は……えっと……。

「……この子の可愛さが伝わらないのは……いつものことです……行きましょうか」

千子村正はそう言うと、歩きはじめる。
その口調と表情で、私は確信する。
少なくとも。
千子村正が「あれ」を「可愛い鹿の人形」と認識していることは間違いないようだ。

(ひょっとして、残念な子……いや、まさかな。妖刀とはいえ名高い巫剣だぞ)

私は彼女を追った。


千子村正はどうやら、買い物をしたいらしい。
だが、それは上手くいっていなかった。

「やばい、あの女がきたぞ……!」
「もう商売どころじゃねえ! みんな、逃げろ!」

と、千子村正の接近に気付いた市のものたちが、慌てて店じまいして逃げ出しているからである。
千子村正は困り果て、小さな声であの「鹿の人形」に話しかけた。

「うーん……今日もお店が開いていません……どうしたらよいと思いますか?」

どうやら、千子村正は一人言を「あれ」に話しかける癖があるようだ。
話し相手が他にいないからだろう。
市にいた人間は全て隠れるか、逃げ出すかしているのだから。

(む……!)

その姿を見て、私は気付いた。

(「不気味な呪文を唱えて呪いをかける」と言っていたな……ひょっとして、「呪文」というのはこれのことか?)

私の聴力は非常に優れている。
その上、観察方としての訓練によって読唇術まで身につけている。
だからこそ、千子村正が「鹿の人形」に話しかけ、困っているということを見抜くことが出来た。
しかし、普通の人間がこの姿を見たらどうだろう。
話している内容は聴き取れない。
あれが「鹿の人形」であることも予備知識なしでは認識できない。
結果として、不気味な呪文を唱えているように見えないだろうか?
実のところ、あの「鹿の人形」の見た目のせいで内容を聞き取れている私ですら「人形に話しかける少女らしい行動」より「妖怪を従えて呪文を唱えてる」と言われたほうが納得できるくらい禍々しい雰囲気なのである。

(……噂と実態が、大きくかけ離れている可能性が出てきたぞ)

これは、まだ観察を続ける必要がありそうだ。

千子村正は買い物を諦めきれず、市を歩き回っていた。
商売熱心なものというのはいるもので、そんな彼女に対して物を売る商人も現れる。
どれほど恐ろしくても儲けが出ればいい、ということなのだろう。
ただし、その値段は悪質、といってもいいほどに割高なようだった。
そのことに千子村正は気付いていない。
他に比較する値段がないのだから当然だった。

「……ありがとうございます……買い物ができなかったらどうしようかと」
「へへ……ま、まいどあり……」

ガタガタ震えながら代金を受け取ろうとする商人。
その時。

「ギャアアアアアアアア!!!!!」

市に咆哮が響き渡った。
その正体に、私はすぐに思い当たる。

(……禍憑! 四……いや、五体か!)

千子村正の反応は速い。禍憑と戦うため、即座に抜刀する。
だが、商人の反応は違った。

「ひいいいいい、ぼったくってすみませんでしたああ!!!!」

そう言うと、代金も商品も放り出して逃げてしまう。

「……あ……」

追いかけようとした千子村正の前に、一体の禍憑が立ち塞がる。

「ギャアアアアアアアア!!!!!」
「……邪魔です」

千子村正は一刀の下に禍憑を切り伏せる。
五体の禍憑は次々と倒されていく。
それは、あっという間の戦闘だった。
しかし、その時にはすでに商人の姿はどこにもなく、道には商品が残されていた。
仕方なく、それを拾い上げる千子村正。

「……どこに届けたらよいのでしょう?」

そう呟くと、困ったようにどこかへと歩いていく。
なんとかあの商人を見つけようというのだろう。

(……これはひょっとして)

私は、その後は追わずその場に残り調査を続行することにした。
禍憑が去り、往来には少しずつ人影が戻ってきた。
人々が話している内容に耳を傾ける。

「……あの女がまたきた……」
「沢山妖怪を連れてきたぞ……」
「商人を刀で脅して、売り物を奪っていったって話だ」

(……なるほど、そういうことか)

どうやらこれが、「子分として多数の妖怪を従えている」という噂の真相らしい。
千子村正は真面目に禍憑を倒しているだけなのに、誤解されてしまうのだ。
それはまさに買い物をしようとした時に禍憑が襲ってくる、という間の悪さのせいでもあり。
そしてなにより。

(あの「鹿の人形」だよなあ……)

せめてあれを持ち歩くのだけでもやめればいいのに……。


私はこの日の観察で、千子村正の誤解のされやすさが妖刀級であることを確認したのだった。


以上、御華見衆観察方より報告