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巫剣観察記

燭台切光忠

燭台切光忠

「燭台切光忠……なるほど」

私は、次の観察対象の情報を確認しながらつぶやいた。
観察は冷静であることが基本だというのに、体の奥底に熱い感覚が湧き上がる。

「忍……忍者を観察するというわけですね」

私は、武者震いに震えた。

忍者――
言わずと知れた、古くから我が国で諜報を担ってきた存在である。
戦国時代には大名たちがそれぞれ忍を抱え、情報戦が繰り広げられてきた。
観察対象である巫剣、燭台切光忠もまたそのような忍の一人である。

だが、時代は変わった。
銘治になり、西洋から新たな諜報の技術が入ってきたのである。
近年ではそれらと、従来の技を合わせた新たな諜報の形が模索されている。
諜報の世界にも文明開化がやって来たのだ。
御華見衆観察方でももちろん、そういった手法を用いている。
その私が、憧れの「忍者」である燭台切光忠を観察する。
これが昂ぶらないでいられるだろうか。

「観察対象、発見」

私の視界の先に、燭台切光忠が現れた。
人通りの多い喧噪に包まれた道を歩くのは、のんびりとした雰囲気をまとう美少女である。
しかし、一見普通に見える歩き方は鍛え抜かれた者のそれであり、物音一つたてない。

「お姉ちゃん、これ買っていかねえか?」
「うーん、今は必要ありませんねえ」

などと、しつこい客引きたちもさらりとかわしていく。
「実に見事だな」

なるほど、観察対象が凄腕の忍であることは間違いなさそうだ。
私はその旨を報告書に載せるための覚え書きにしたためた。

その時。
私の視界の中、燭台切光忠の付近で全く別の事件が起きていた。
往来を歩いていた男が、別の男とぶつかったのである。
ぶつかられた男は一目で分かる仕立てのいい服を着ており、いかにも羽振りがよさそうだった。

「これは失礼……」
「ちっ、気をつけて歩きやがれ!」

ぶつかられた男は気付いていない。
通りがかりに、自分の財布が奪われていることを。
そう、ぶつかった男はスリであった。

「……くそ」

私の任務は巫剣の観察である。
あの男を捕まえることは簡単だが、そうすると目立ってしまう。
仕方なく私はその男の風貌と特徴を、覚え書きに素早く書き留める。
後で、警察に捕まえてもらおう。
だが、事態は意外な方向へと進展した。

「そこの人、止まってください……あ、そこの貴方も」
「な、なんか用かい?」

なんと、燭台切光忠がスリの男、そして財布をとられた男を呼び止めたのである。
実にのんびりした様子だった。

「財布を出してください」
「財布……俺の財布がどうしたんで」
「しらばっくれないでくださいね。さっき、そこの人から盗んだ財布ですよ」
「えっ!?」

そう言われて、財布を盗まれた男ははじめて自分の懐を確認する。

「な、ない!? 財布がない!」

やはり、気付いていなかったらしい。
確かに、スリの男はかなりの技量であった。
私は遠くから観察していたからこそ、不自然な動きを察知できたが、
この人混みの中でそれに気付くのは困難だろう。
だが、燭台切光忠はそのわずかな違和感を逃さなかった。

「い、いいがかりだ!」

言い訳をする男を、おっとりした声で断ずる。

「いえ、ちゃんと貴方が財布を盗むところを見ていましたよ。だって」

その声色に反して、有無を言わさぬ物言い。

「最初から、あなたは悪いことをしそうな動きをしていましたから。スリさんってすぐ分かるんです」

やがて、騒ぎを聞きつけた警察がやってきて、スリの男は連行されていった。
財布は無事取り戻され、取られた男はお礼を言って去っていった。
燭台切光忠はまるで、なにもなかったかのような様子で、歩き去っていった。
私は報告書を書きながら、先ほどの出来事を脳裏に反芻する。
最初から――
私はその言葉に衝撃を受けていた。
彼女は、最初から男がスリだと見抜いていたのだ。
一方、私は有利な位置にいたのに男が実際に行動を起こすまで気付いていなかった。
この差は大きい。

「これが……燭台切光忠の技……」

私の体を感動が包む。
燭台切光忠が極めて優れた観察眼と洞察力を持っていることは間違いない。
なお、これは後から改めて知ったのだが、燭台切光忠はしょっちゅうスリを捕まえているらしく、そのおかげで表彰されたこともあるらしい。
あの恐るべき観察眼なら、どこにスリがいてもすぐ気付いてしまうのだろう。
そして、気付いたら即行動。
彼女の正義感や責任感を示す証拠として、報告書にも記しておきたい。

スリの件から数日。
あれほどの観察眼を持った燭台切光忠の観察は慎重を要し、遠巻きに眺めることすら困難な日が続いた。
そんな時、ようやく格好の観察の機会が訪れた。
燭台切光忠が異国の男性に話しかけられたのだ。
どうやら我が国について研究しているらしいその人物は、なぜか燭台切光忠が忍者であることに気付き、彼女をしつこく追いかけていた。

「アナタ、ニンジャデスヨネ!?」
「だから、違いますって~」

異国の男は忍者に憧れを持っているようだった。
わかる。私も忍者には憧れている。
だから……今、この観察という仕事を……。
おっと、いかんいかん、自分の世界に入りかけてしまった。

「ニンジャノワザ、ミセテクダサーイ!!」
「もう、違うって言ってるのに~」

好意的な感情からでた行動のせいで、なかなか邪険にもしづらい。
その後、立て続けに様々なことが起きた。
まず、往来で騒ぎが起きた。少女に絡んでいたゴロツキたちが、突然後ろ手に縛られたのである。これは、燭台切光忠の仕業だった。
その騒ぎの隙に、燭台切光忠は素早く屋根の上に駆け上がった。そうして異国の男性の追跡を振り切ったのだ。
悪党を退治しつつ、追跡も振り切る。一石二鳥である。
ここまではいい。
……その後がよく分からなかった。
燭台切光忠はすぐに屋根から飛び降りると……ガス灯を一刀のもとに斬りすてたのである。
そして、素早く逃げ去ってしまった。
ガス灯を斬り捨てる。素晴らしい剣術の冴えである。
さすがは巫剣。
しかし、一体なぜそんなことをしたのだろう。
私には分からなかった。

以上、御華見衆観察方より報告

と、いうところまでを私は報告書として上げた。
すると、後日報告書が差し戻されてきたのだ。
それにはこんな手紙が添えられていた。

往来で私を発見したところは合格。
その後の隠行もかなりの出来ですが、まだ少々隙があります。
相手が私や、私同等の観察眼を持っていた場合、まだ発見される危険がありますので、より一層励んでください。
スリは出来れば、実際に行動を起こすより早く発見してほしかったところです。
ただし、その特徴を書き留め、後で警察に報告しようと考えたことはとても良い考えだと思います。
異国の男性に絡まれた際の私の動きを追えていたのは素晴らしいですね。
ガス灯を斬り捨てた件ですが、あの時、小型ですが禍憑が発生していました。
つまり、禍憑を斬った際、誤ってガス灯まで斬ってしまったのです。私は悪くありません。
それに気付いていなかったのは減点です。
観察方といえど、御華見衆です。常に緊張感を持って、禍憑の気配には敏感になってください。
もう一度書きますが、私は悪くありません。
総評:良(水準以上の能力を有するが、一層の努力の余地あり)

…………どうやら、観察されていたのは私のほうだったらしい。
燭台切光忠が「忍」の技術指導を御華見衆観察方にしていると、私は後から知らされたのだった。

以上、御華見衆観察方より再報告