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巫剣観察記

愛染国俊

愛染国俊

「すごい人の数!」
この季節の東京の風物詩の1つに隅田川の花火大会がある。
景気良く打ち上がる花火の下は逢い引きの場にもなっていて、多くの人で賑わう。ほんの数年前には見物人の重みで両国橋の欄干が落ちたというから大変な盛況ぶりだ。
この日私がここへやってきたのは甘酸っぱい逢い引きのため――ではない。悲しいけれど。
今日は観察方として巫剣の愛染国俊を調べるという任務を帯びている。
桁外れに多くの人が集まる花火大会。そこには高確率で同じように禍憑も吸い寄せられてくるだろうと、御華見衆はそう考えて事前にたくさんの巫剣を配置していた。
そこに愛染国俊も参加しているとの情報を得たのだ。
もうじき1発目の花火が上がるだろう。

「愛染さん、どこかなぁ?」

しばらく愛染国俊を探し歩いた。すると1本の木の下にあどけない少女の姿を見つけた。朱色の着物が鮮やかだが、その裾が地面についてしまいそうだ。
それはまさに探していた愛染国俊だった。
ホッとしながら忍び足でそちらへ近づく。しかし愛染国俊は何やらご立腹の様子だった。

「おぬしそれでも男か!」

よく見ると彼女の隣にはまだ年若い青年が立っていて、愛染国俊はその青年に説教をしているようだった。それを見たときまず私は、花火大会の熱気で調子に乗って悪さをした青年にお灸を据えているのかと思った。けれど違った。

「ここまで来て想いを伝える自信がなくなった? 相手を橋に残して逃げてきてしまっただと? 愚か者! 要するにおぬしは自分が傷つくのが怖いのだ。だから袖にされることを恐れて娘を1人置き去りに逃げた。自分がかわいいばかりにな。だが置き去りにされた娘のことを考えてみよ。今頃人波に押され、1人不安で押しつぶされそうになっているに違いない。その不安に比べればおぬしの不安なぞ米粒だ!」
巫剣が色恋沙汰の相談に乗っている。それもかなりの熱量で。
彼女は巫剣として禍憑襲来に備えて警備に当たっているはずなのだが――。

「ほれ、そこで買ってきてやったぞ。串団子だ。これをもって早く娘の元へ行ってやれ。急がんと花火が始まるぞ!」

あどけない少女そのものといった見た目の愛染国俊に散々発破をかけられ、恋に臆病な青年はよたよたと駆けていった。愛染国俊はその後ろ姿を「むっふー!」と満足げに見送っている。

「愛染さんって、堅物というか、真面目な性格の巫剣だって聞いていたんだけど、まさかの恋愛脳 ……?」
「ん?」
「あ……」

呆然と彼女を見つめていると、バッチリ目が合ってしまった。

「おぬし……」

しまった! 呆気にとられて完全に気を抜いていた。

「あ……! いや、私は別に……怪しいものでは!」

愛染国俊は険しい表情でまっすぐこちらに近づいてくる。

「ご、ごめんなさ……!」
「おぬし! その幸薄い表情! 悩んでおるな? 色恋か? そうであろう?? そうに決まっておる! われの目はごまかせんぞ!」
「えええっ!!」

幸薄い?

「さては好いた相手に逢い引きをすっぽかされたな? さあ、乗ってやろう! 相談に乗ってやろう! なんでも話してみろ! 即刻解決してその背を押してやる!!」
「違います誤解です! 今日は私……仕事で……今日も1人で……1人ぼっちで…………う……」

自分で説明していてだんだん悲しくなってきた。愛染国俊はそんな私の背中をそっと撫でてくれた。

「泣くな泣くな。わかっておるわかっておる」

その手のなんと温かく優しいことか。それは彼女の見事な特技、特性の1つなのかもしれなかった。その優しさに私はつい心の扉をパカっと開いてしまった。

「うう……そりゃ私だって1人の人間だし、女だし……今日くらいは素敵な誰かと花火を見上げて……手を繋いだりしたかったですよぅ…………それなのに御華見衆はいつも任務任務って…………わーん!!」
「そうかそうか……大変だったな。……うん? 御華見衆? なんだおぬし、同業か?」
「あ…………」

相手のペースに乗って自爆してしまった。つくづく自分が情けなくなる。

「あ……あはは……。実はそうなんですよ。といっても末端のそのまた末端のド新人でして……まだ雑用仕事しかさせてもらえないんですよ。今日は研修も兼ねてここの警備のお手伝いに……」
「なんだそうだったのか。それはご苦労なことだ。精進するがよい」

なんとかごまかせた……のかな?

「ありがとうございます。……それにしても巫剣さんが恋愛指南に躍起になっているなんて、なんだか不思議です」
「ああ、見ていたのか。われがそんなことにかかずらう必要はないと思うか?」
「いえ、そんなことは……」
「それも無理はない。だがよいか。かの福沢諭吉も中上川彦次郎とともに発行した著書『男女交際論 』の中で、男女の睦まじい交際は心を和やかにすると説いておる。和とは調和であり、物事がもっとも良好な状態を指すのだ。太平のためにいくら刀を振るおうとも、人心に調和をもたらせなければそれは無意味というもの」
「お……おみそれしました」
「夏は短し恋せよ乙女だ。うむ!」

とその時、川の向こう岸でわっと人々のどよめきとも悲鳴ともつかない声が上がった。
いよいよ花火が上がったかと思い、空を見上げたが、まだ何も上がってはいない。
原因は別にあった。

「出おったな禍憑」

瞬間的に愛染国俊の声が鋭くなった。気配で感じ取ったのだろう。

「われが1番近いようだ」

彼女はそっと自身の刀に手を伸ばす。

「それならまず急いでお仲間に知らせてから……!」
「一刻を争う。われが食い止めておる間にほかの者もかけつけてくれるだろう」
「でも!」
「まったく、時も場所も選ばぬ野暮な連中よ。今宵、この晩、この両国川開きの花火の元で幾十、幾百の恋が成就するやら。それをかの暴虐な連中に邪魔させるわけにはいかん。パッと消えて美しいのは花火だけだ」

そう言って愛染国俊は見物人をかき分け、河川敷から軽やかに飛んだ。そのまま隅田川に浮かぶ屋形船の屋根から屋根へ、ムササビのように飛び移っていく。
その姿に見惚れていた私の頭上で、最初の花火が見事に咲いた。

以上、御華見衆観察方より報告