
それは、8月も終わりかけの、うだるような暑さの日のことだ。
昼、外に出たら、燦々と照りつける太陽の光に顔を上げることもできず、後頭部に熱を感じながら、右、左と交互に前に出る足を眺めるだけになった。
「ああ……。こうやってただ足を前に出すだけで、私はどこにだって行けるんだなぁ……」
おかしな台詞が口をついて出た。
たぶん、夏の暑さのせい。
それもひとえに、今回の調査対象である島津ノ吉房がどこを探しても居ないからに他ならない。
足を棒にしても見つからず、その棒がもうすり切れてしまいそうだ。
「東京に来てるハズなんだけどなぁ……」
またも独り言が口をつく。
ここのところ、朝も昼も夜も、時間にかかわらず禍憑の目撃報告があれば出向いた。
それこそ、動物も寝静まる深夜の山中や、真夏の日差しが降り注ぐ川辺など、ありとあらゆるところに。
なぜなら、禍憑を倒すことを使命としている巫剣なら、まず間違いなくそこに現れるはずだからだ。
特に、島津ノ吉房は『武人の鑑』と言われるほど高潔な精神の持ち主と聞いている。
賢明で優しく品行方正。『弱きを助け強きを挫く』を絵に描いたような巫剣だと。
西蓮や鷹の巣宗近とも交流があったことは、既にここまでの調査で明らかになっている。
聞き取り調査も行ったが、彼女を知っている者はみな同じような事を口にした。
その竹を割ったような真っ直ぐな性格は誰からも好かれ、彼女自身も優しく真摯であると。
そしてその真摯さ故、自己の鍛錬に手を抜かない彼女は、剣の腕も一流ときている。
周りから見た島津ノ吉房は、まさに十全。完璧な巫剣ではないか。
ここまで褒められる巫剣もそうはいない。
これは観察方の仕事ではあるが、個人的にももっと彼女のことを知りたいと思ってしまう。……が、未だ見つけること叶わず。
照りつける太陽の下、ぼーっと足下を見ていると、右足と左足が同時に前に出た気がした。
「危ない!」
天地が逆転した。もしくは大地が私に近づいてきたのだろうか。
とにかくそう思った瞬間、私はやわらかななにかに抱き留められていた。
顔を上げると、そこにあるのはつややかな長い髪と涼しげな目元。
「す、すみません! どこのどなたか存じませんが!」
慌てて離れようとする私を優しく支え、
「気にすることはない。それよりも具合が悪そうだ」
そう言うと、少し休むといいと通り沿いの茶屋まで案内してくれた。
席に通され、水で出した茶を勧められる。
おそらく井戸水を使っているのだろう。火照った身体からスッと熱が引いていくのが分かる。助かった。
すると、横に立った彼女が言った。
「なにか注文はあるか?」
店員だった。
しかし、ふと今朝方、御華見衆本部で見た島津ノ吉房に関する調査書の内容を思い出す。
容姿、背格好、髪、目元。
間違いない。この店員こそ私が探していた島津ノ吉房その人だ。
しかし、なぜ店員をしているのか。その答えを求めるため、茶菓子を注文し彼女の働きぶりを観察することにした。
そして、数十分後。
まさに完璧だった。人当たりもよく、なにより所作が美しい。
注文にも間違いは無く茶屋の店員として完璧ではなかろうか。
笑顔は少なく感じるが、そこは巫剣。
大目に見るところではなかろうかと考え、自身の目的を思い出した。
なぜ、島津ノ吉房がこんなところで店員をしているのか。
本人に直接聞こう。
そう心に決め、彼女を席に呼んだ。
「先ほどはありがとうございました」
「気にすることではない。具合が悪いことなど誰にだってある」
そう言って僅かに微笑む島津ノ吉房。
その表情からも彼女が本当に私のことを心配してくれていたのが分かる。
「店にいたらちょうどフラフラと君が来るのが見えたんだ。大事になる前で本当によかった」
「ところで、店員さん、このお店は長いんですか? 見たところ身のこなしが武道を嗜んでいるように見えて……」
私は御華見衆監察方。その仕事は巫剣の調査だ。
目の前に調査対象がいるのであれば、それを逃す手はない。
案の定、島津ノ吉房は質問に乗ってきた。
「うむ。よく分かったな。いい目をしている」
「そ、それほどでも 」
褒められてつい上機嫌になる。
「実は、数日前この店の店主に相談をされてな」
「相談、ですか?」
「なんでも先の大雨で店主の奥方が腰を痛めてしまったらしくてな。困っているようだったのでこうして手伝っているというわけだ」
「なるほど。では、奥さんの腰がよくなれば、またどこかへ……?」
「いや。しばらくは留まるつもりだ」
彼女の瞳に決意の色が宿る。
「それはまたなぜですか?」
「この時期は大雨が多いからな」
そう言うと島津ノ吉房は不敵に笑い、こう続けた。
「ならば、次に来たときが、大雨の――やつの最後というわけだ」
ちょっと意味が分からないが、大雨の最後というのはどういうことだろう。
確かにこの時期、大雨は多いが、その最後はおそらく10月くらいだ。
如何な人智を越えた巫剣といえど、大雨の季節が終わる前に、大雨を止めさせることはできないのでは……。
「あの、最後というのは……?」
恐る恐る聞いてみる。
「決まっている。私が斬るからだ。大雨も強風もその元凶ごと、たたき斬ってやる!」
彼女の目を見て分かった。
本気だ。そしてなにかの比喩でもない。
真面目に、本気に、真正面から大雨や強風を斬ると言っている。
「な、なるほど……。がんばってくださいね」
そう言うと、島津ノ吉房はいつもの柔和な表情に戻り
「ありがとう。そのために研鑽を積んできたからな。今度こそ必ず勝ってみせるよ」
大雨に強風、もしかしたら大火や大水も。
天災を一刀に伏すために研鑽を続ける巫剣。
島津ノ吉房がそう考えるに至る物語がきっとあるのだろうが、今の私には想像もつかなかった。
ただ、彼女が出してくれたお茶と茶菓子は、非常に美味だった。
島津ノ吉房――その清く正しい様、そして優しさはまさに武人の鑑。
以上、御華見衆観察方より報告