
ちょうど梅雨の入り口の頃だった。
客の入りもまばらな、神田淡路町の外れにある一軒の居酒屋。
そこで私は、今回の調査対象から、何故か酒を奢られていた。
「なるほどだな! それは確かによくない!」
どんぶり茶碗になみなみと注がれた酒を一気にあおると、彼女は大声でそう言った。
愛嬌のある、きれいというよりはかわいいといった面立ちにもかかわらず、実に見事な飲みっぷりだ。感心してしまう。
「やっぱり、そうですかね?」
自信なげに返す私に「キミはなにも悪くないしな!」と太鼓判まで押してくれた。
なんとはなしに口にした仕事の愚痴だったが、思いのほか興味があったらしく、嫌な顔一つせず聞いてくれたどころか、こうして慰めてくれている。
実にありがたい話ではあるが、原因は目の前の巫剣・福島兼光の調査が一向に進まない事なわけで、なんとも微妙な心持ちではあるのだけれど……。
□
そもそも事の始まりは、数日前。
福島兼光の調査を命じられた私は、本部の資料室や街での聞き込みから始めた。
いつもの私のやり方だが、これでいつも悪くない成果を出していると信じている。
しかし案の定、いや、意外にも調査は進まず、つい数時間前、とうとう上司にお小言を貰うと言う状況に直面した。
惜しいところまで調査は進んでいると思うんだけど……。
だが、結果に結びつかないので言い返せるわけもない。
そんなわけなので、若干ヘソを曲げた私は、早仕舞いとばかりに定時きっかりに本部を出て、いそいそと居酒屋に。
そうなのだ。こんな日は飲んで寝てしまうに限る。
そう思っていたのだが、運よく(いや、運悪くだろうか?)、そこで調査対象に遭遇。
どうしたものかと、少し離れた席から様子をうかがっていると、そんな逡巡も束の間。
私の様子を見た彼女が「なんだ? 景気悪い顔して! 元気だせよ!」とやってきてしまい、
図らずも調査開始と相成ってしまった。
そこからは話が早く、あれよあれよという間に同席からの酒盛り、他愛のない会話。
今や私は今日会ったばかりの彼女に、仕事の相談までしている始末。
当然隠すべきことは隠してはいるが。
何故こんなことになってしまったのか……。
これも私の優秀さ故と思いたい。
□
「元気だせよ、どうにかなるって!」
よくある慰めの言葉だが、彼女が言うと妙な温かみを感じる。
人との距離感が近いのだろうか。
表情をコロコロと変える彼女は、怒ったかと思えば、次には笑っている。
私の気持ちに寄り添ってくれているのかと思えば、次の瞬間には不服そうに唸ったり。
話していてわかったことは、彼女は、自身が違うと思っていることには絶対に同意しない。
だから、私の弱みも遠慮なく突いてくる。
しかし、まったく嫌な感じがしないのだ。
なんとも不思議な巫剣だと思った。
「でもさ、その仕事、好きで始めたんだろ?」
「まぁ、それは、そうですね……」
「なら、もうちょっとがんばってみたらどうだ? 誰にだって調子の悪いときくらいあるしな!」
ああ。なんか救われる。
端から見れば月並みな励ましの言葉だけど、彼女が言うとスッと心に落ちてくる。
そこで気がついた。
福島兼光には、表裏がないのだ。
正確に言えば、真っ正面から相手と向き合う。
相手の言葉をしっかり聞いて、自分の意見をしっかり伝える。
そんな単純なことを、ただ実直に行っている。
彼女の言葉には嘘がない。
「だいたいさ、手を抜いていたわけじゃないんだろ?」
「はい。それはもちろん」
そうなのだ。決して手を抜いていたわけじゃない。
だから、上司の小言がより効いたんだけど……。
「なら、大丈夫だ。大事なのはちゃんとやるってことだしな!」
本当にそうだと思う。
やるべき事をただやる。
福島兼光という巫剣は、ただそうやって今まで生きてきたのだろうと感じた。
「なんだ、お福。ここにいたのかよ!」
やおら背後から声がかかった。
「たぬき! おっそいぞ!」
福島兼光が、そう返す。
私は、思わずたぬきと呼ばれた人の方を振り返り、そして息をのんだ。
そこには、同田貫正国が立っていたからだ。
□
ここは、神田淡路町の外れにある一軒の飲み屋だ。
客足もまばらで、お世辞にも流行っているとは言えない。
料理は確かにおいしいが、神楽坂や浅草の高級店とは比べるべくもない。
なぜ、そんなお店に巫剣が2人も……。
私の隣に座った同田貫正国は、向かいの福島兼光と、それこそ旧知の仲とばかりに酒を酌み交わしている。
「お福は、いつ広島から来たんだよ? あれ? 金沢だっけ?」
「1週間前くらいだな。東京はやっぱりすげぇな!」
「だろ? オレも最初来たときはびっくりしたよ!」
福島兼光も同田貫正国も、きれいと言うよりはかわいらしい外見をしている。
私が言うのもなんだが、ちょっと気の強そうな町娘と言った風情だ。
そんな2人が、語気も強めに言い合っている。
いや、たぶん彼女たちにとってはこれが普通なのだろうが、端から見るとそうは見えない。
端的に言えば、そのかわいらしい見た目も相まって目立つのだ。
店の客が少ない分、私たちに注目しているのが嫌でもわかってしまう。
このまま調査を続けるのは厳しそう。
なにより巫剣2人相手に調査任務を行うほど肝も据わっておらず。
私は、早々にこの場を辞させていただこうと考え始めていた。
「あ、あの、私、明日も仕事早いのでそろそろ……」
「なんだよ、もう帰んのか? オレが来たばっかりなのに!」
同田貫正国の食いつきが速い。
「そうだな。たぬきも来たし、これは飲み直しだな!」
飲み直しの理由がわからない。
「で、でも、仕事が……」
それでも固辞しようとする私に
「じゃあ、一杯だけ。あと一杯だけつき合ってくれよ」
愛嬌のある顔で福島兼光が迫る。
ああ、そうか。
自分に正直。表裏がないということは、つまりこういうことでもあるのかも知れない。
梅雨空。
雲の隙間から僅かに星が見え始めた宵の口。
まだまだ、酒宴は終わりそうもなかった。
以上、御華見衆観察方より報告