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巫剣観察記

日光一文字

日光一文字

「いやいや、そんなことありえませんって」

上司の言葉に、私は反駁した。
御華見衆観察方は上意下達の組織。本来はありえないのだが、内容が内容だったのだ。

「あの日光一文字が『きゃー!』と悲鳴を上げただなんて」

日光一文字。
福岡一文字派随一の傑作と呼ばれる、強大な巫剣である。
元は日光権現に秘されていたというその存在は、神秘的で気高い。
心強い味方であると同時に威厳がありすぎて、見かけるだけでみな少し背筋が伸びてしまう。
そんな存在なのだ。
そんな日光一文字がある日突然往来で『きゃー!』と声を上げながら走り出したというのだ。

「本人も否定しているんでしょう?」
「問いただしたが『そんな覚えはない』の一点張りだった」

その様子は、まるでなにかから逃げ出すかのようだったという。

「それは疑いようがない。なにせ、見たのが自分だからな」
「目が腐ってるんじゃないですかね」
「お前、本当に上司を上司だと思っていないな……いや、間違いない。絶対に見た」
「だって困りますよ、あんなに強い巫剣が悲鳴を上げて逃げ出すだなんて……どれほど恐ろしい禍憑が現れたっていうんですか」
「そう、それだ」

私の言葉に、上司は我が意を得たり、という様子だった。

「恐ろしく強大な禍憑が現れた可能性がある。……だからこそ、真実を明らかにしなければならない」

たしかに、上司の言葉はもっともだった。気づかないうちに上司の目が節穴になっていたのだとしても、念のためその懸念は晴らさなければならないだろう。

「わかりました。日光一文字が逃げ出した相手がなにものか、探り出して見せます」
「とはいえ、どうしましょうかねえ」

本人が否定している、というのが問題だった。
上司の目が実はビー玉かなにかで、目撃が事実ではない可能性を無視すれば、日光一文字は真相を隠そうとしている……ということになる。敵の存在を日光一文字が隠蔽する理由は分からない。だが、一筋縄ではいかない事情があることは間違いないだろう。
ここは、事情を知っていそうな周囲の人物に聞きとり調査が必要になる。

「ということなんですけど、どう思いますかね?」

私の質問に、その人物は呆れた顔で答えた。

「……その考えの末に、なぜ我に直接聞こうと思ったのか全く分からぬ」

そう、その人物とは日光一文字本人である。

「いや、最初は仲がよさそうな三ツ鱗紋兼若さんに聞いてみたんですよ。そしたら、死んだ目で『ソレニツイテハイエヌ』としか言わないわけです」
「……」
「さすがに気付きますよね。これ、口止めされてるなあと」
「……むむ、あやつめ」
「ということで、これはどうもなにかあるな、と。最初は私も上司の目がポンコツすぎたせいで幻覚でも見たかと思ったのですが」
「お主、さっきから上司に当たりが強すぎんかえ?」
「ということで、もう一度お聞きします。『きゃー!』と声を上げて何かから逃げ出した……というのは事実ですか?」

ずばり、と切り込んだ私の言葉に、日光一文字は目を逸らして小さな声で答える。

「そ、そんなことはない……」
「それ、完全に駄目な反応じゃないですか……あったって言ってるようなものですよね?」
「うっ」
「ちょっと教えてくださいよ」
「言えぬ……! 絶対に言えぬ!」
「いやだってね、困るんですよ。日光一文字さんが逃げ出すような存在なんて、強力な禍憑かもしれないじゃないですか」
「そんなことはない! そもそも、そんな事実はないのだ!」

(うーん、後一押しかな)
私はここで、一つカードを切ることにした。
事前に日光一文字周囲の人物からの聞き取り調査で判明していた事実をここで使うことにしたのだ。

「早く教えてくれないと、この国で平和に暮らす家族が酷い目に遭うかもしれないんですよ?」
「な、なんの話じゃ?! なぜそんなことになる?」

日光一文字は目に見えて動揺した。
日光一文字は「家族」を大切にしている。この地に生きる家族たちの絆を守るために、彼女は戦っているのだ。
だからこそ、自分の行動がそれを害するなんて、断固忌避するはずだ。

「もし、本当に強大な敵がいるなら、そのせいでとんでもないことが起きるかもしれない……だから、我々は調査しなければいけない。しかし、御華見衆観察方の人員は限られています。だから、この調査に注力することで、どうしても他の捜査がおろそかになります」
「た、たしかにそれはそうかもしれぬ」
「我々、観察方の調査は多岐に渡ります。その中には、仲睦まじい家族を狙って子供をさらう禍憑や、借金取りに化けて暴利を貪り貧乏によって一家離散せざるを得ない状況に追い込む禍憑などの調査もあるかもしれない」

我々の担当は巫剣についてなのだが、これは嘘八百、というわけでもない……と思う。調査対象の巫剣次第によってはそんな任務が派生することもありうるのである。まあ、そんな状況想像もつかないが。

「しかし、日光一文字さんの隠し事のせいで、その任務を遂行出来なくなるかもしれない。救えたはずの家族を、救えなくなるかもしれないのです! 日光一文字さんのせいで、家族がバラバラに……!」
「わ、我のせいで……家族がバラバラに!?」

日光一文字は顔面が蒼白になっている。よほど衝撃を受けたらしい。
たたみかけるように、私は彼女を糾弾した。

「子供たちが泣いているのは、貴方のせいなんですよ……?」
「そんな……我は、そんなつもりは……」

そう呟く日光一文字に、普段の威厳は一欠片もない。
私は内心ほくそえんだ。
勝った。
私は一転して優しく話しかけた。

「だから、早く話してください……ね?」
「わかった……正直に話そうぞ」

その言葉を聞いて、私は、核心へと大胆に切り込む。

「貴方が悲鳴をあげて逃げ出した相手は一体、なにものなんですか?!」
「…………むかで」
「は?」
「ムカデ! 我は、昔っからムカデが苦手で苦手で苦手で仕方ないのだ……!」

話を聞けば日光一文字は過去の因縁があり、ムカデが大の苦手なのだという。

「ああ、想像するだけでも気持ち悪い、あのうにょうにょした体に、やたらめったらついている脚……なぜあんなものがこの世に存在するのか疑問しかない!」

まあ、たしかに気持ちのよいものではない、が。

「貴方、もっと気持ち悪い禍憑をバッサバッサと斬ってますよね?」
「あんなもの、別に大したことはないわ」
「禍憑が平気なのに、ムカデがダメって……だって、あんなの踏んだら一撃ですよ?」
「ひいいいい!? 恐ろしいことを言うでない! あんな気色の悪いものを脚の裏で踏む!? 無理無理無理、絶対無理じゃ!」

なんということだろう。
福岡一文字派の傑作と呼ばれる強大な巫剣、日光一文字が逃げ出した相手。
それは、ムカデだったらしい。
日光一文字はそれを隠し、周囲に口止めしていたのだ。
今後、ムカデ型の禍憑が出現しないことを祈るばかりである。

以上、御華見衆観察方より報告