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巫剣観察記

物吉貞宗

物吉貞宗

その日私は、かねてより命じられていた物吉貞宗の観察のため花売りに変装し、いつも以上に気合いを入れて彼女を尾行していた。

「大事な任務だし、絶対成功させてみせる!」
「何を成功させるですって?」

ところが――いとも簡単に尾行に気づかれてしまった。

「先刻から気配は感じていたのよ。花売りにしては足運びが静かでしたしね。一体何が狙いなのかしら? 返答次第によっては……」

私の眼前に立ちはだかり、物吉貞宗は腰の刀にそっと手をかける。

「ひゃあ! いえ、その……! あなたは物吉貞宗様ですよね!?」

こうも容易くバレてしまっては観察方の名折れ。なんの成果もなく戻れば上司になんとどやされるか分かったものじゃない。
私は必死に考え、苦し紛れの言い訳に打って出た。

「実は先日、あなたがバケモノから子供たちを救う姿を偶然見かけまして……その高貴で勇ましいお姿にすっかり目と心を奪われてしまったのです。そこでぜひ物吉貞宗様の付き人にさせていただけないかと!」
「花売りがあたくしの付き人に?」

我ながら苦しい。こんなとって付けたような言い訳で騙せるのなら誰も苦労はしない。
万事休す。ろくに人事を尽くすこともなく天命を待つことになってしまった。

「仕方ないですわね~」

だが、私に下された天命は実にチョロいものだった。

「そんなにあたくしに仕えたいなら、付き人にして差し上げてもよくってよ」
「ほ、本当に?」
「そうよ。そうなのよ。眉目秀麗、羞月閉花と謳われる高貴なあたくしに付き人の1人もいないなんて前からおかしいと思っていたのよ! ついに現れましたわー!」

物吉貞宗は至福の表情を浮かべて身をくねらせている。よく分からないがよっぽど嬉しいらしい。

「そ、そうですよ! 物吉貞宗様には仕える者が必要です! それこそ一流の証!」

私もここぞとばかりに調子を合わせて盛り上げる。

「い、一流……! 一流の証! えへ……えへへ……」

完全なる蕩け顔である。異常な喜びようだ。
ともかくこうして私はうまく正体をごまかしたばかりか、同行すら許される立場を手に入れてしまった。

「ではさっそく車夫を呼んでちょうだい。あたくしこれから巡回へ向かうところだったの」
「え、巡回で人力車に乗るんですか?」
「当然よ。空模様をご覧なさい。雨も降りそうじゃない。あなた、あたくしに雨の下をトボトボ歩けというの? この一流の着物を泥で汚せと? ほら、早くなさい」

なんという人だろう。傲岸不遜というか唯我独尊というか、とても禍憑を討ち、人々を守る巫剣の言動とは思えない。一癖二癖ある巫剣は少なくないけれど、物吉貞宗はまた違った意味で独特だ。
 結局私は彼女のワガママに押し切られて車を呼んでしまった。
物吉貞宗はやってきた車にふわりと乗り込むと、物憂げに頬杖をついた。その姿に車夫も思わず見惚れる。

「出してちょうだい」

物吉貞宗の指示に私は焦った。

「え。あの、物吉貞宗様。まだ私が乗っていませんけど……」
「なぜあたくしが付き人と肩を並べて車に乗らなければならないの?」

まるで地面で潰れている柿を見るような目をこちらに向けてくる。でもそんな表情すら美しい。

「走ってついて来いというんですかあ? そんな殺生な!」
「はい、出発」

こちらの訴えは却下され、私はそれからしばらく俥を走って追いかけた。なんと非道な物吉貞宗様だろう。
走り疲れ、膝が笑い始めた頃、雨粒が鼻先に当たり始めた。
見上げると空はすっかり崩れていた。
雨は見る間に強くなる。足元はあっという間に滑りやすくなり、車との距離も開いてしまう。

「ちょ……物吉貞宗様! ま、待って……!」

素直に待ってくれる人だとはもはや思っていなかったが、一縷の望みをかけて主人に声をかける。
すると、意外にも前方で車が停まった。
なんとか追いついて肩で息をする。車を見上げると、雨よけの幌の下から物吉貞宗が麗しい顔(かんばせ)をひょいと顔を覗かせていた。なぜだか少しバツの悪そうな表情である。

「オホン……。やっぱり雨が降ってきたようね。えっと……さすがに女子が体を冷やすのはよくないから特別に……よくってよ」
「……へ? それはつまり……?」
「に、鈍いわね! あたくしの隣に座ることを許してあげると言ったのよ!」
「物吉貞宗様ァ!」

ちょっぴり顔を赤らめて手を差し伸べてくれる物吉貞宗様。天使だ!
面倒見がいいというか、けっこう優しいところもあるらしい――と心の手帳に書き留めておく。
しばらく雨音を聞きながら2人で車に揺られた。

「あの、物吉貞宗様、私なら平気ですから……その……」
「野良猫じゃないんだから、つべこべ言わずじっとしてなさい」

物吉貞宗は先ほどから自らのハンカチで雨に濡れた私の顔を丁寧に拭ってくれている。

「考え違いをしないでね。高貴なあたくしの隣に座る者が雨で水浸しだなんて許せない。それだけよ」
「物吉貞宗様はご自身だけでなく、周囲の人や物にも美しく、一流であることを望まれるのですね」
「当然です。加えて気高くなければならないわ。あたくしはもちろん、あなたもね。気高さとは強さです。そして強き者の責任を負い、正しく在ること――」

素敵な調子でなんだかとても大切なことを語る物吉貞宗。けれどその時不運にも車夫が車を急停止させ、私たちの体も大きく揺れた。

「そう、それこそ一流が一流たりゅッ……!」
「あッ! 物吉貞宗様! もしや舌をお噛みになられたのですか!?」
「ひゃうう……」

可愛らしい舌先をちょこんと覗かせて目元に涙を浮かべている。

「おいたわしい……。せっかくいいことを言おうとしていらしたのに……」
「ほ、ほっといてちょうだいッ」
「それにしても急に止まったりして一体どうしたんでしょうね?」

幌から顔を出して外を確認してみる。日没前の通りは雨にけぶり、幽暗な様相を呈していた。

「ああッ!!」

私はその風景の向こうに巨大な影を見た。
禍憑だ。
その足元には逃げ遅れてうずくまる子供の姿。

「た、大変です! 物吉貞宗様! こ、子供が襲われそうに……!」
私がそう口にするよりも早く、物吉貞宗は幌を跳ね飛ばし、車から飛び出していた。
そのまま雨ですっかりぬかるんだ道の上を風のように駆け、禍憑へと一直線に向かって行く。
雷雨と禍憑の邪悪なうなり声と子供の悲鳴が響く。
気づけば車夫はとうに逃げ出しており、軒を連ねる家々も例外なくぴしゃりと戸が閉められていた。誰もが禍憑という災いから目を背けているのだ。
けれど物吉貞宗だけは違う。

「その子から離れなさい!」

汚れひとつない着物姿で車に揺られる彼女も美しかったけれど、弱き者のために泥と血しぶきにまみれて戦う姿は、もっとずっと美しく見えた。
あれだけ雨に濡れるのを嫌がり、ワガママを言って車を用意させたくせに。
まったく不思議で、魅力的な人だ。

「グオオオオオン……」

そして物吉貞宗は凶悪な禍憑を一刀のもとに討ち倒すと、優しく子供を抱き上げ、言って聞かせる。

「もう大丈夫です。さあ、泣き止みさない。お礼なんていいのよ。貴く尊いこの身は、弱きものを救うためにある。これが、のぶれす・おぶりゃ……」

また噛んだのですね物吉貞宗様。
でも、舌を押さえて痛がる物吉貞宗の顔を見て、泣いていた子供も笑顔になった。
なるほど確かに彼女は一流かもしれない。

以上、御華見衆観察方より報告