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巫剣観察記

青木兼元(?)

青木兼元(?)

以前、とある観察方の手記が郊外の河原に流れ着いたことがあったが、その後のさらなる捜索によって新たな断片が発見された。
こちらも破損がひどく解読に今日まで時間がかかってしまったけれど、この度ようやくその内容が明らかとなった。
どうやら以前の手記よりも古いものであるらしい――。
そのせり立った岩場の上からは一帯の山々が一望できた。すぐ脇を小川が流れ、それはすぐ目の前で滝となって流れ落ちている。
滝を見下ろすようにして立つのは1人の美しい女だ。
観察方の目から見て、彼女が尋常の者でないことは一目瞭然だった。もしも眼前であの細い腰に携えた刀を抜かせてしまったら、私の命は刹那ともたないだろう。
正直なところこうして物陰から観察している今も、いつ気配を気取られるかと肝を冷やしている。
流れてきた汗が目に入る。私は一瞬目を閉じてそれを拭った。
そうして次に目を開けたとき――女の背後に別の誰かが立っていた。
本当に、一瞬にして現れたのだ。
その人物はどこか影を纏ってはいたが、少女と言ってもいいあどけない外見をしている。

「あなた、勝手にわたくしの背後に立たないでちょうだい。思わず斬ってしまいそうになるから」
「つっかからないでよね。アオに斬られてあげるつもりはまったくないけど、今は殺り合うような気分じゃないから。てか、めんどくさい」
「相変わらず覇気のないこと。そんなあなたがこんなところへ何の用かしら?」
「それはこっちの科白せりふ。ここは僕のお気に入りなんだけど。勝手に占拠しないで」

少女の言う「ここ」とはあたりを一望できるあの滝の上のことらしい。

「あらそう。ではあなたは他に新しくお気に入りをお探しなさい。わたくしが好いと思った瞬間、すべての場所はわたくしの場所になるのだから」
「はいはい。いつも穴蔵の奥で不健康な暮らししていたくせに、今になって急にどういう風の吹き回しなんだか」
「いくら世の目を欺くためとは言え、四六時中隠れアジトの中にいたのでは息が詰まります」

アジト――。そんな場所がこの近くにあるらしい。これは有益な情報だ。

「それでは高貴なわたくしの身にキノコが生えてしまいましてよ」
「キノコ……。アオのあんなトコやこんなトコにキノコ……。くくっ」
「……妙な想像はおやめなさい」
「そんな高貴な君がどうして我慢してまであの連中といっしょにいるのか、僕にはそれがわからないよ。息が詰まるなら、太陽が恋しいなら好きな時にどこへでも出て行っちゃえばいいのに」
「……あなたには関係のないことよ。今やあそこはわたくしの居城。高貴なる身として放り出すわけにはいかないの」
「手に入れた居場所を失うのが怖いだけじゃないの?」
「――なんですって?」

瞬間、あたりの木々がざわついた。2人の間の張り詰めた空気を感じて滝すらもその音を潜めたような気がした。

「……怒ったの?」

それまで相手の言葉を飄々と受け流していた少女だったが、その時だけは少しアオと呼ばれた女の様子を伺うような態度を見せた。
少女には悪気などなく、そういうことを口にしてしまう性質たちなのかもしれない。

「僕は後からここへ流れ着いて宿を貸してもらってるだけだから、仲間とか居場所とかそういうのはよくわからないんだ。君がなにを抱えていて、なににすがっているのかも、ね」
「ふん。思えばわたくしたちはお互いのことをほとんどろくに知らないままでしたわね」
「別にそれでいいんじゃないかな。僕らはおトモダチってわけじゃないし。袖擦りあうとも多少の縁すらない……って言うし」
「言いません」

2人の頭上を鳶が旋回している。その影を見上げながら続けて言った。

「……あなたもそのうち、ふらっとここからいなくなってしまうのでしょうね。わたくしの前から」
「……寂しいの?」
「バカをおっしゃい」
「まあ確かに、そんなことはないよとは言ってあげられないけれどね。流れが変わってしまったら、次にどこへ流されていくのか僕にもわからないし」
「そもそも流れに抗うあなたではない。でしょう?」
「少しは僕のことわかってきてるじゃない。そうだよ。僕は木の葉みたいなものさ。ただ流されていくだけ。たとえその先がどんな激流でも、ね。ジタバタしたってしょうがない」

そう言い終わるや否や、自らの言葉を体現するかのように少女は岩場から滝壺へ目掛けて躊躇いもなく飛び降りてしまった。
見ていた私も思わず声を上げそうになってしまう。
だが、少女は尋常ならざる身のこなしで崖の岩や枝々を飛び移って軽々と滝壺のそばの岩の上に着地してしまった。
その様子をまったくくうろたえることもなく眺めている女。

「ま、流れが変わらない間はここにいてあげるよ!」

下から声がする。少女は言うだけ言うと執着なくその場を後にした。
立ち去る少女の背中を、残された女は一人見送っている。

「いいえ。きっとあなたもじきに去ってしまうのよ。わたくしを残して」

彼女の言葉は滝壺へ消えた。

以上、御華見衆観察方より報告