一つの影が夜の荒野を歩いていた。
女……というよりは少女、と呼ぶのが相応しいだろうか。目にも鮮やかな着物から、ちらちらと覗く肌が悩ましい。その身体は柔らかさ、豊かさを備え、すらりと伸びた手足は極上の曲線美を描いている。
十人が十人振り返るような美貌だったと言っていいだろう。
その歩法はごく自然で、ただ歩いているように見える。だが、もし剣術を修めた者が見たならば隙のなさに驚愕したことだろう。少しも力んだところのないその歩き方が、その少女が達人であることを示していた。
それも当然だろう。
少女は武蔵正宗……剣に優れたものの揃う巫剣たちの中でも、尊敬の念をもって「剣豪」と呼ばれる存在だったのだから。

「懐かしいなー……うち、ここで襲われてたんだっけ」

呟いた言葉の内容がまた凄まじい。
その荒野は有名な古戦場である。
かつて、天下無双の道を歩んだ剣豪が大立ち回りを演じたことでよく知られている。とある大流派を敵に回した剣豪は、この場所で七十人もの一門に襲われ、撃退したという伝説があるのだ。
疑う者もある逸話だったが、武蔵正宗はそれが紛うことなき真実であることを知っていた。
そこにいたのだ。
それから長い時を経て、武蔵正宗がこの場所に戻ってきたことに大した理由があるわけではない。全国を巡る中で、近くを通りかかったから寄った、というだけのことだ。
とはいえ、かつて、もっと苛烈に剣の道を求めていた頃の自分を再確認してみてもいい、と思ったことは確かだった。
つまりどういうことかというと、「自然であること」を極めすぎた結果として

「やば……ちょっとこのへん、たるんできた感じするかも……」

という危機感を抱いたためである。

「んー、なんか、ヤな感じ」

その古戦場は武蔵正宗の記憶と、やや様子が異なっていた。時代を経ているから当たり前なのだが、それよりも大きな理由がありそうだった。
ただよう気配の中に、邪悪なものがある。
その正体に、武蔵正宗は心当たりがあった。

「……禍憑かー」

まるでその言葉を聞いたかのように、不気味な怪物……禍憑たちが姿を現した。
その数、数十。
まるで、かつて剣豪と戦った一門が怨霊となって蘇ったかのようだった。

「うちとしてはやだなー……そういうの」

武蔵正宗は少しだけ不快感を露わにする。
斬られてしまえばそれで終わりで、恨みなど残さない。
それが武人というものであるはずだ。だが、禍憑は負の感情が渦巻くところに現れやすい。
だからこそ、武蔵正宗にとってそれは許しがたいものだった。
かつての命がけの決闘を汚されたような気がしたのだ。
ゆえに。

「手加減なしでいくよ」

武蔵正宗は躊躇なくその刀……その剣術の象徴ともいえる、二刀を解き放った。
次の刹那。
二体の禍憑が寸断される。
誰かが見ていたとしても、いつ斬られたか全くわからなかっただろう。
それは、単に速いからではない。
そこに不自然な力みが全くないからだ。まさに「水を手本とする」という教えの体現である。
次々と禍憑を斬っていく武蔵正宗。
戦場にいる感覚……久しく覚えていなかった高揚感が身体を満たしていた。
数十体を斬り、あっとういう間に禍憑は残り数体となる。
向き合った武蔵正宗は、戦いの流れに任せるまま、奥義を放つ。

「震天五輪ッ!!」

その瞬間。武蔵正宗の姿がかき消え、禍憑たちの後ろに現れる。
それで、すでに戦いは終わっていた。
禍憑は様々な剣気によって同時に斬られていたからだ。

「うーん……」

多くの禍憑をあっという間に斬ったというのに、武蔵正宗は首を傾げる。
自分の剣は衰えていない……にも関わらず、少し物足りなさがある。
予感があるのだ。
もう少しで、さらなる剣の高みに達することが出来る、という予感。
だが、そのためには……ここにいた禍憑では足りない。

「御華見衆、行ってみよーかなー」

前から誘われていた、禍憑と戦うための組織。
そこで、もう一度戦いに身を置くのも悪くないかもしれない。

「じゃあね」

武蔵正宗は小さく呟いて一度だけ古戦場を振り返ると、ごく自然に歩き出した。
相変わらず、全く隙のない歩法で。
電撃G'sマガジン 2017年9月号掲載