二ノ介は御華見衆の伝令衆見習いだった。ふだんは危険な任務もなく、些細な雑事を言われるがままにこなすばかりで、御華見衆にとっての絶対的な敵である禍憑ともまだ満足に対峙したことがなかった。
そんな状況に不満を感じていたのは事実だ。もっと重要な現場で役に立ちたい。そう思っていた。
そんな二ノ介の願いはある日突然、思わぬ形で叶えられることとなった。
ギュオオォォォーーーン!!
耳をつんざくような咆哮1つで彼の腰は抜けた。
「う……あぁ……出た……! こ、これが……禍憑……!!」
禍憑は尋常の存在にあらず。神出鬼没にして非道。そのため、いつ何時どこで異変が起きても対処できるよう、御華見衆の監視の目は各地に張り巡らされている。だが時には天網も悪を取り漏らすことがある。
その晩、突如3頭の巨大な禍憑が下町の通りに躍り現れた。時刻は丑満時。ふだんなら人気は絶えている時刻だった。けれどその日は1月1日。不運なことに今しがた年を越したばかりの市井の人々が地元神社へ向かうために表へ出ていた。
「こ、こんなところに……! 巫剣を……早く巫剣を呼ばなきゃ……!」
二ノ介と行動をともにしていた同期の伝令は、出会い頭に禍憑に吹き飛ばされてすでに気を失っている。いや、息絶えているかもしれない。
ダメだ。どうしようもない。
自分の頭蓋もじきに禍憑によって噛み砕かれるだろう。
「邪魔」
無力な己を呪いながら項垂れかけた時、宵闇に少女の声がした。
腰を抜かしたまま背後を振り返る。闇の向こうに少女らしき人影があった。
その姿の輪郭はまだ定かではないが、ただ2つの緋色の瞳だけが闇の中で確かに光っている。
「斬っちゃおうかな」
次いでギラリと紺青色に光ったのは紛うことなき刀の刀身だった。
「み、み、巫剣!! もう来てくれたんだ……!」
刀を携えた少女。そんな存在は巫剣以外にない。二ノ介は天の助けとばかりに少女の方へ転げ寄る。それは遠巻きに見た覚えのある巫剣だった。名前はなんと言ったか。
けれど――記憶の中の印象と微妙に違うような気がする。
「あ、あの……助け……!」
「あのさ……」
遮るように少女が口を開いた。
「その目。もしかして僕が助けてくれる……とか思ってる?」
それは覇気の乏しい、小さな声だった。
「初めて会うよね? 会ったこともない他人だよね? それなのになんでそんな全幅の信頼、天の助けって感じですり寄ってこれるの?」
少女の言葉を身に浴びるうちに、二ノ介の困惑は徐々に恐怖に変じていった。
少女の紫黒の髪と外套が夜に溶けるようになびく。
「そんな容易にあっけなく、どうして信じることができるのかな」
緋色の瞳は無感情に二ノ介を見下ろしている。彼は少女の瞳の奥に虚無を見た。
真っ当な巫剣がこんな目をするだろうか?
「ねぇ、邪魔だから、早いところどこかへ消えてくれない? でないとなんか……虫酸が走って……僕、先に君をどうにかしちゃいそうだ」
怖い――恐ろしい。
次の瞬間、二ノ介はその場から全力で逃げ出していた。本能が逃げろと言っていた。
だがいくらも行かないうちに小石につまずき、停めてあった牛車の車輪に頭をぶつけてしまう。涙を浮かべながら来た方を振り返ると、あの恐ろしい少女の背が点々と道に灯された篝火に照らし出されていた。
少女は己の体の何倍もあるような禍憑たちと対峙している。
「で、禍憑君たちさ、自分はこんなに大きく凶暴で、鋭い牙と爪を持っているから僕に負けるはずなんてない……って思ってるよね?」
少女は抑揚を欠いた口調で淡々と禍憑に向けて言う。
「あっという間にカタがついて、自分たちが気分よく勝利するって信じ込んでる。ねぇ教えてよ。なんでそんなふうに簡単になにかを信じたりできるの?」
次の瞬間、3体の禍憑が同時に少女へ飛びかかった。
同時に少女の体からわずかな波動が発せられた。それは禍々しく、甚だしくよくない力だったが、二ノ介にそれが嗅ぎ分けられるはずもなかった。
ただ一瞬にしてすべての禍憑が四肢と首を切り落とされ、地面に転がるのを見ただけだ。
血振りの動作を1つ見せると少女は夜空を見上げた。
「ま、別にどうでもいいんだけど」
二ノ介はただ震えていた。震えながら自分の顔に生温いなにかが垂れてくるのを感じた。手で拭き取ってみると、どろりとした自分の血だった。頭をぶつけた時に額が割れていたらしい。
闇に姿を消す紫黒の少女の背を見送りながら、二ノ介は気を失った。
□
次に覚醒した時、二ノ介は病院の寝台の上だった。そんな自分を覗き込んでいる人物がいる。
「おーい。起きたか?」
体を起こし、霞む眼で声の主を見る。
「ここは……う……ん!? うわあ!」
そこにいたのは昨夜、禍憑を斬ったあの少女だった。変わらず刀を携えている。
「うわわわ! 助けて!」
「なに怖がってるんだよ。平気か? 頭の怪我はそれほどじゃなかったはずだけど」
しかしその態度は昨夜に比べて随分柔らかい。
「あれ? なんか……雰囲気が……? って、あなたは九字兼定……さん?」
「そのとおり! オレが君を病院まで運んできたんだぜ」
その時になって二ノ介は気づく。昨夜見たあの恐ろしい巫剣。見た覚えがあるはずだ。似ているのだ。目の前にいる九字兼定に。
「い……いったいあの巫剣のはなんだったんだ……?」
狐に摘まれたような感覚のまま、二ノ介はただただ痛む頭を捻るばかりだった。
電撃G'sマガジン 2020年4月号掲載