初夏の日差しを避けるように砂ずりの藤の下に寝そべっている女性がいる。金地螺鈿毛抜形太刀だ。
ここは春日神社。朱色の柱と青空の対比が目に眩しい、由緒ある神社である。
うつらうつらとしている金地螺鈿、そこへ思いもかけない来訪者があった。
「随分と気の抜けた顔を晒しておるのう」
「へっ? ……あ、まるっち! なんであんたがここに……ってか人の昼寝の覗き見すんなし」
不意に声をかけてきたのは平家の至宝と謳われし巫剣、小烏丸その人だった。
「ひさしいな金。こうして会うのはいつぶりか」
「金言うな。らでぃーちゃんだし」
「相変わらずじゃのう。御華見衆の任務でこの近くへ来ていたのじゃが」
「御華見衆? あ~。わーし、そういうの疎いから~」
「知らぬふりとは釣れないのう。この春日神社にお主がいると耳にしてな、こうして様子を見に来たわけじゃ。しかしその様子じゃと相当暇を持て余しておるようじゃな」
「別にそんなこと……ってまさか、わーしをその御華見衆ってのに誘いに来たの? 言っとくけどやだからね。うにゃ~」
金地螺鈿は猫のように伸びをするとようやくその場から立ち上がり、小烏丸などおかまいなしで歩き出した。小烏丸は困ったように笑い、後に続く。
「まだなにも言うておらんじゃろう」
「そういうの興味ないから。ここでやることだってあるし~」
彼女の物言いに小烏丸は表情だけで「例えば?」と促した。
「日向ぼっことか……」
「ふむ」
「あと、ツバクロの巣の見回り」
確かに中空をツバクロがせわしなく行き来している。境内にいくつか巣を作っているのだ。
「なるほどそれは大切な仕事じゃな」
小烏丸は慈悲深い微笑みでそう返す。
それから2人は西回廊をゆっくりと歩きながら、互いの近況や世の中の動きなどを話した。
「え!? 平家負けちゃったの? マジだ~……。まるっちもいろいろ大変だったのねぇ~」
「金よ、さすがに世事に疎すぎではないか」
「だってここにはなんの情報も入ってこないんだもん! 誰もわーしのこと訪ねてきてくんないし! よ、世の中から忘れられちゃったのかなって…………はっ! い、今のなし! 違うから! 別に寂しいとか思ってないから!」
「妾はなにも言うておらんが。しかし、奔放気ままな猫のようなお主も話し相手がツバクロ一家だけじゃと、寂しくもなるのだということはよくわかった」
「だから違うってば! 烏が話し相手のあんたといっしょにすんなし!」
「うんうん。金よ、寂しくとも泣くな。それもまた試練じゃ」
「ムカつく~! あんた、わーしをからかいに来たの!? もう許さない!」
小烏丸のからかいに耐えかねた金地螺鈿は、両手を広げていきなり彼女に飛びかかった。しかし小烏丸は最小限の動きでそれをひらりとかわす。
「はっはっは。金、すっかり鈍ってしまったのではないか?」
「この~!」
「ほれ、こっちじゃ」
小烏丸は誘うように回廊を駆け出す。そうしてやにわに2人の追いかけっこが始まった。
「待て~!」
御本殿近くに立つまだ若い杉の周りをぐるぐる回り、石段を駆け上ってから中門へと至る。低い位置を飛んでいたツバクロも2人に驚いて場所を空けた。
「どうした金よ。それでは妾を泣かせる前に金地螺鈿の名が泣くぞ」
「手加減して遊んでやってるだけだし!」
塀の屋根の上に登った小烏丸を追い、金地螺鈿も地を蹴る。どちらも見惚れるほどの軽やかさだった。そのまま御本殿の屋根に達する。
「ふふふ~ん。追い詰めたわよ~」
小烏丸を屋根の隅へと追い詰めると、金地螺鈿は嬉しそうに唇を舐めた。飛びかかる直前にお尻を左右に降るその姿はまさに猫だった。
「観念するにゃ~!」
しなやかな動きで一気に距離を詰めると、金地螺鈿は両手を伸ばして小烏丸の華奢な肩を掴んだ。
「捕まえたー!」
達成感とともにそう叫んだとき、小烏丸もまた、こう言った。
「捕まえたぞ」
「へ?」
2人はからまりあったまま屋根の端から宙へ飛び出す。
「金。妾とともに来い。これからの御華見衆にはお主の力が必要じゃ」
「な、なに言って……」
「妾を捕まえるほどのその身のこなし、天晴じゃ」
金地螺鈿は唖然としたまま地面に降り立った。
「いっしょに来いって……最初に言ったじゃん。興味ないって――」
「じゃが、なかなか楽しかったじゃろう? 追いかけっこ」
思いもよらぬ小烏丸の言葉に金地螺鈿は言葉を詰まらせた。
「妾とともに外へ出れば、時々は今のように遊んでやらんこともない。少なくとも、ここで日がな一日眠りこけておるよりは、張り合いがあると思うぞ」
「やっぱ最初っから誘う気で来たんじゃん!」
「お主のことじゃ、ふつうに説得したのでは聞き入れてはくれぬであろう?」
――図星だった。ただでは聞き入れないことも、ひさびさに本気で体を動かしたことが、楽しかったことも。
金地螺鈿はしばらくその場で考え込んでいたが、やがて精一杯の抵抗の意味でこう言った。
「ツバクロの巣は……? 誰が面倒見るわけ?」
「他者の世話になどならずとも、彼らは己の力だけでたくましく子を育てよう。それにな、ツバクロの子も必ずいつかはここから巣立つのじゃ」
小烏丸が手を差し出してくる。
すでに金地螺鈿の中に断るための手札は残っていなかった。駆け回った後の高揚感は格別だったし、ツバクロのたくましさも本当はわかっていた。だからあとは目の前に差し出された手を取るだけだった。
けれど悔しいのでもう少しだけ焦らしてやるにゃ~、と金地螺鈿は胸中で笑う。
風が吹いて、ツバクロが高く舞い上がった
電撃G'sマガジン 2019年8月号掲載