「ここが横濱ね。So nice! 初めて来たけど真新しい物がいろいろありそうじゃない」
その日、影打・水心子正秀は茶屋や芝居小屋が立ち並び、人で賑わう伊勢佐木町通りに立っていた。
しばらく行動を共にしていたコテツ、ソボロの両名が最近戻ってこず、彼女は暇で仕方ないのだ。
「なによ2人とも……ちょっと出かけてくるって言ったきり……。いいもん。わたしはわたしで自由に生きるから。さて、まずは芝居でも見て……」
強がり半分に1人で啖呵を切ってから道を歩き出す。と、すぐに後ろから声をかけられた。
「お姉さん、絵を買って行きませんか?」
見ると10歳前後の少年が筆を片手にこちらを見ている。彼の後ろには何枚かの絵が飾られていた。
「Painter? その後ろの絵、あなたが描いたの?」
「はい。画家を目指していまして、その……」
「フーン。そういうことなら……いらないわ」
「ええっ」
「だって、ちっとも新しさを感じないんだもの。Conservative. 若いのに保守的」
「で、でも……これは今流行りの技法で……!」
痛いところを突かれたのか、少年は焦って椅子から立ち上がった。
「流行っているってことは、それはもう廃れ始めているということよ。わたしにとって新しさのない物は平等に無価値なの。よしんば実力があって新しい表現を見つけることができたとしても、結局は運がないと人生思い通りにはならないわけだし、諦めて故郷へ帰ったら? Bye」
「そ、そんな……」
夢見る少年に対してあまりに酷な現実を突きつけ、彼女は容赦無くその場から離れようとする。
その時、通りに女性の悲鳴がこだました。そしてそれは波のように人々に伝染していく。見ると、はす向かいに建つ芝居小屋の屋根の上に、なにかが獣の如く這い上る姿が見える。――その正体は知っていた。
「禍憑だわ!」
「ガアアアアアアッ!!」
轟く咆哮に促され、刀を抜き、構える。
「こんなところにまで出るなんてね。でも、せっかくなのに残念」
彼女は通りを駆けてから大きく跳躍し、芝居小屋の屋根に登った。そのまま屋根瓦を1枚たりとも踏み割ることなく軽やかに舞い、荒ぶる禍憑を両断する。
「Finished! 今日この時刻、この場所にはこのわたしがいたのよ。フフン」
納刀しながら1人で得意満面の顔をしてみせるも、すぐにその顔をしかめた。
「あ……禍憑が出たってことは、じきに御華見衆が駆けつけてくるかもしれないわね。Escape! 絡まれると面倒だし、ここはさっさと退散を……」
彼女は展開を先読みしてその場から立ち去ろうとしたが、しかし再び聞こえた悲鳴と、建物の倒壊する音に足を止める。
通りを見下ろすと、すでに1軒の茶屋が易々と潰されていた。瓦礫のそばには別の禍憑。通りの人々は蜘蛛の子を散らしたように逃げて行き、あっという間に周囲が静まった。
「ま、他にも禍憑がいることはなんとなく気配で察していたけれど、でも真面目にわたしが相手してやる必要はないわよね。他の巫剣だってそのうち来るだろうし」
禍憑が天高く咆哮する。すると別の気配が続々とこちらに近づいてくるのが感じられた。
「う……うう……!」
「って、さっきの絵描きの子、瓦礫の下敷きになっちゃってるじゃない。哀れ禍憑の餌食か。Poor boy.ホントに運がなかったのねー」
それを目にした上でなお影打・水心子正秀は踵を返し、屋根伝いに退散しようとする。その背に少年の絞り出すような声が届いた。
「く、来るな……バケモノ……! 僕の絵に……触るな!」
「……」
「そ、その絵は……明日には完成なんだ……。やっと買い手も……決まって……」
「………………ああ、もう!」
彼女はほとんど反射的に屋根から飛び降り、動けない少年と禍憑の間に割って入っていた。
「お、お姉さ……?」
「ちょっとだけ! ちょっとだけ気まぐれを起こしてあげるわ!」
敵意を察知し、続々と襲い来る禍憑。
少年は腹ばいで動くことができなかったが、それでも必死に顔を上げて彼女の後ろ姿を見た。どんなに数で押されても、決して後ろへ下がらず、避けもせず、仁王立ちで襲いくる相手を薙ぎ払っている。
やがて少年は、自分が護られているのだと理解した。
「凍てつき、果てなさい。End of ultimatum!」
煌めく氷の華が咲き、禍憑たちが次々に氷づけとなっていった。その華の中心に、彼女は舞っている。
「アハ! 考えてみたら、今日みたいな日に偶然このわたしが居合わせてたなんて、この子、相当なlucky boyだわ。それなら将来有名な画家にだってなれるかもしれないわね。ま、わたしには関係ないけれど」
少年にとって彼女の姿はこれまで見たどんな絵画、どんな風景よりも美しく思えた。
彼はまばたきすることをやめ、すべてを目に焼き付けておこうとした。いつかあの姿を、自分なりの表現で描く、その時のために。
すっかり禍憑を屠り去ると、彼女は刀を納めて独りごちる。
「それにしても近頃禍憑が一層活発になってきてるわね。御華見衆の連中、きっと手が回らなくて目を回しているに違いないわ。Awesome! だとしたらいい気味ね」
意地悪な表情を浮かべて微笑んだ彼女だったが、少々の間の後、思い直したように小さく咳払いをした。
「……まあ、どうしてもって頭下げて助力を頼みにきたら、条件次第じゃ話くらい聞いてあげなくもないけど」
電撃G'sマガジン 2019年6月号掲載