ずっとずっと、わたくしはここにいる。
北陸の地、金沢。ここ以外の景色は、もう定かではない。
別に閉じ込められているわけではない。ここにいることに不満はなかった。
巫剣としての本懐を遂げられないでいるとしても。そう、これまでは――。

朝焼けに染まる庭へと集う小鳥たちのさえずりに、ふと耳を澄ます。
朝の気配を感じる一時に、心が穏やかになるのを感じた。
だが、わたくしのいる離れの裏手から発された大勢の足音が混じり、思わず苦い顔をしてしまう。
恐らく、兵が戦に向かったのだろう。見送ろうという気は湧かなかった。
それは当然のことだろう。どうということはない。いつもの光景なのだから。
大典太光世は他の巫剣のように戦場へ出向いたりはしない。
なぜならわたくしは芸術品であり、美しさと高貴な身分を併せ持つが故に、ここにいるからだ。

「よいでしょう。また、わたくしの歌が必要ということですね?」

自分にできることはひとつだけ――それは、歌うこと。
わたくしの歌には不思議な力が宿っているという。
聞いたものを鼓舞することもある。傷を癒やすこともある。
言霊としかいいようがないものだ。
それは、自身が特別な巫剣であることの証であり、誇り。
あるときは祝いの歌を。あるときは英傑への歌を。またあるときは鎮魂の歌を。
だがそれは、必ずしも他人のためではない。
誰よりも、自分自身のために歌い続けてきたのだ。

歌は聞き手に力を与え、聞き手とともに俗世を巡る。
風にのって、駆け回っていく。
だから聞き手が再び訪れるときを、ただ待ちわびるのだ。
縁のない俗世を、少しでも知ることができるから。
わたくしの歌が、聞き手とともに旅した音と共鳴して、記憶を呼び覚ます。
見たことのない景色が、音が、自分の中に広がっていく。
その瞬間、わたくしは音と一体だった。
わたくしは音で、音はわたくし。
風に乗り、空に響き、地を伝う――今の姿など捨てたような、自由な感覚。
これを味わうことが、もっとも幸せを感じる瞬間であった。

自分がずっと歌っていないと気づいたのは、百華の誓い――巫剣の本懐である、戦いを禁ずるという盟約からしばらく後。
月に数名、多ければ十名を超えた来客は途絶え、世話役の顔だけを見る生活が続く。
ある日、久方振りの来客があった。だが客人は、もう誰かのために歌う必要はないと告げるために訪れたのだ。
そうして理解した。わたしはこれまで、本当は自分のために歌いたかったのだ、と。

「ここは、気持ち良い風が吹くな。今日のわたくしの舞台に相応しい」

庭にある小高い丘に立つわたくしの元を、小鳥のさえずりをのせた風が吹き抜けていく。
空を見上げると、雲が風に流されたのか美しい快晴が広がっていた。
わたくしがいる場所は今も変わらない。でも、今は思うがままに歌っている。
誰かに求められるから歌うのではない。自分が歌いたいから、好きだから、歌うのだ。
鍵の開いた鳥籠の中に留まっているだけでなく、知らない世界の景色を運んでくれた歌を誰かに届けられるように。
あの青空に響くように、幸せを奏でるように。
それがわたくしなりの歌への恩返しであり、いつか叶えたい、夢――。
歌よ、わたくしの想いをのせて、どこまでも羽ばたいてゆけ。
電撃G'sマガジン 2015年12月号掲載