東京府四谷鮫河橋近くには昼間でも薄暗い鎮守の森がある。ふだん人を寄せ付けないその森の中に、しかし今は10人ほどの少年少女がいた。
いずれもみすぼらしい格好をしており、その小さな膝小僧や手のひらは泥に汚れている。
「お……おまえが探検なんかしようって言うから……」
「うわあーーん!! 勝手に森に入ったからきっとバチが当たったんだよ!」
彼ら身を寄せ合うようにして固まり、は泣きべそをかいて小さな体を震わせていた。
「グルルル……!」
いたずらに森に立ち入った彼らは、そこに潜んでいた禍憑の群にでくわし、すっかり取り囲まれていた。
「うう……誰かあ!!」
泣こうが喚こうがここには大人はいない。よしんば居合わせたとしても、人の力でどうこうできる状況ではない――はずだったが、その時思わぬ所から声がした。
「先刻から何事ですの? 騒がしいったらないですわ」
その澄んだ声に子供たちは一瞬互いに顔を見合わせ、それからそろって同じ場所を見つめた。
視線の先にはこの森に古くから建つ小さなお堂がある。
声はその中から響いた。
禍憑たちもそちらへ向き直り、格子戸の奥の闇を睨みつける。
格子戸がゆっくりと開く。中から出てきたのは見目麗しい女性だった。
手に分厚い書物を持ち、腰に短刀を携えている。
「せっかく余暇を利用して書物を読みふけり、“いんぷっと”に励んでいたというのに」
気の強そうな目元と、どこか高貴な言葉遣い。
お堂からお姫様が出てきた! 子供たちはとっさにそう思った。
「おかげで気がそがれて……ふわ?あ……っぷぷ! い、今のはあくびじゃありませんのよ! 背伸びして持ち出した哲学書がさっぱり解らないものだから、枕代わりにしてお昼寝していたなんてわけではありませんからね」
突然のあくびからのひとり語り。そして勝手にボロを出していく。やっぱりお姫様ではないかもしれないと子供たちは思った。
「よ、よくわかんないけどおいらたちの他にも人がいたんだ!」
「お姉ちゃん早く逃げてッ! 長屋に行って誰かに助けを……!」
子供たちは必死に目の前に迫る危機を知らせようとする。
だが彼女には意味がなかった。
「逃げろですって? あたくしを誰だと思っていますの? 音に聞こえし勝利の名刀、物吉貞宗ですわよ」
彼女、物吉貞宗は禍憑を無視してそのまま語り始める。
「ご存知ないの? 鱗鳳亀竜、国士無双。まさに完全無欠の存在で……ところであなたたち、みんな小枝のように細いじゃない。なんだかみすぼらしいわね。ちゃんと食べているのかしら。お米を食べなさいお米を。それがないならめいじ館の茶房にいらっしゃい。平伏して許しを乞うほど甘味を振舞って差し上げますわ」
実に場違い、実に不遜で高飛車なその物言いに長屋町の子供らはあっけに取られる。
「それどころじゃないよ! ほら、バケモノが……」
「ガゴオアアアアアッ!!」
子供の声をかき消すように禍憑たちが吠え、物吉貞宗へと襲いかかる。
「このあたくしの踊りのお相手としては相応しくありませんわね」
だが物吉貞宗は動じず、優雅な所作で短刀を抜くと目にも留まらぬ速さで禍憑たちの間を駆け抜けた。次の瞬間、飛びかかった3体の禍憑がほとんど同時に四肢を切り裂かれて地面に転がる。
「物吉貞宗、推して参ります!」
さらに飛びかかってくる禍憑たちを右に左にとかわし、その度に舞うように斬りつけてゆく。その動きに挑発された禍憑たちは我先にと物吉貞宗へ突っ込む。
彼女はその時を待っていたように背後へ大きく飛び、そのままお堂の屋根を蹴った。
物吉貞宗の体がさらに高く飛翔する。
「森の空気ごと綺麗に浄化して差し上げますわ!」
物吉貞宗は上空で身をひるがえし、構えの姿勢をとった。
刃から閃光がほとばしる。
その光は1つに収束し、それ自体が1振りの巨大な剣となった。
「覇皇必勝剣壱式摩訶毘盧遮那!」
物吉貞宗は叫び、光の剣を振り下ろした。
一閃。
あたりは強烈な光に包まれ、暗い森が隅々まで照らされた。
光が収まり、子供たちが恐る恐る目を開けた時、そこに禍憑の姿は一体足りとも残っていなかった。
「やれやれですわ。どこでサボ……読書していても弱き者は目につくものね。でも、目にしてしまったら高貴なる存在として彼らを守らないわけにはまいりません」
鎮守の森の中央で、物吉貞宗は静かに納刀する。
その空色の髪と着物に木漏れ日があたり、夢のようにキラキラと輝いている。
子供たちの誰も、あれほど怖かったこの森をもう怖いとは思わなくなっていた。
電撃G'sマガジン 2018年7月号掲載