「気に入らんなあ……」

言葉が、京の風の中にぽつりとこぼれた。通りには人気もなく、誰に聞かせるというわけでもない。
呟いたのはすらりとした肢体の女である。見とれるような美人だが、もし誰かが見ていたとしても、慌てて逃げ出したであろう。
なにせ、人物と場所の組み合わせが最悪であった。
まず、女のまとう服の裾にあしらわれた「だんだら模様」。この京の都に住むものならば、知らぬはずのないその模様。それを見れば、彼女が何者であるか分からないはずがないのだ。
新選組、である。
維新を経た今でも……いや、今だからこそ、その名はいまだに畏怖をもって語られている。そして、数多くの伝説に彩られたその隊員たちの中でも、彼女……大和守安定の実力と知名度は折り紙つきだった。
さらに、場所だ。
冴えない旅館の看板に記されたその名前を聞いたところで、多くの人は首を傾げるに違いない。
だが、その旅館はかつて別の看板を掲げていた。とある事件があったあと廃業となり、別の持ち主の手に渡って、名前を変えて今にいたる。
以前の名を聞けば誰もがおののく……その名を「池田屋」という。

「ほんま、気にいらん」

大和守安定はもう一度呟く。
何が気に入らないかといえば、この元・池田屋から漂う気配だ。
(あれだけ斬ってやったというに、しょうこりもなく)
目の前の建物からは陰鬱な気配が漏れている。
彼女にとっては捉え違えるはずもない、禍憑の気配だ。
そもそも、ここにやって来たのは一種の感傷。
御華見衆という新たな“隊”へ合流することになり、東京に向かうその前に、もう一度「見廻り」でも、と思ったのだ。
それが不幸だったのか幸いだったのか、かつての激戦の舞台に禍憑が現れていたわけだ。
珍しいことではない。
古戦場や凄惨な事件の跡。そういった場所には悪しき気が澱み、禍憑が現れやすいのだ。かの有名な「池田屋事件」の跡地ともなれば、禍憑が現れても不思議はない。
今となってはどうでもいいなんとか旅館だが、見つけてしまったら放っておくわけにもいかない。

「最後の御奉公……とでも参りましょうか」

呟いた刹那、彼女の雰囲気が変わる。……かつて京を震え上がらせた壬生の狼のそれへと。

(御用改めである……とはできんわなあ)
かつての口上は心にとどめながら、大和守安定は旅館の中に踏み込んだ。
人の気配はない。
禍憑が現れ、逃げ出してしまったのだろうか。
見覚えのある階段を駆け上がる。

「斬っても斬っても、いつまでも終わらんもんやなあ」

自らに襲いかかる禍憑を冷静に見ながら、大和守安定は必殺の突きを放つ。

―――――― 天衝狼牙・三世断獄

消えていく禍憑の姿を見つめながら、大和守安定は思う。
この戦いはいつまでも続くのだろうと。
東京に行っても、きっと変わらない。
それで構わない。
それはつまり、「あのひと」とずっと一緒にいられるということだ。
長曾祢虎徹――彼女こそ自分にとっての新選組局長、我が全て。

「局長、待っててくださいね~~。京のお酒を手土産に、すぐおそばに参りますから~~♡ 」
電撃G'sマガジン 2018年4月号掲載