闇の中、何かが鳴いた。
それは鳥の声だったのかもしれないし、ただの風鳴りだったのかもしれない。
だが、この夜に起きたことを知って……人々はこう噂した。
「あれは、鬼の鳴き声だったのだ」と。

「さーて、どうしようかね」
美しい少女が問題の屋敷を見渡しながら呟いた。
真夜中……かつての数え方でいえば、もうまもなく「丑の刻」になろうという時刻だ。魑魅魍魎が跋扈する時である。
彼女の名は鬼神丸国重。長い髪を三つ編みにして頭の横から垂らし、残りの髪を後ろで一つに結っている。闇に溶け込むような外套を羽織っているが、その下から覗く脚は夜の黒と対照的に、鮮やかに白い。
深い闇の中にあってその存在は異様だった。もし見ていたものがいたら、こう思うものもいたかもしれない。
「鬼が出た」と。
そしてそれは、間違いではないのかもしれない。

鬼神丸国重は気配を殺し、夜の中を静かに駆けて屋敷の前に辿りつく。
奇怪な臭いが鼻につく。……いや、これは臭いではない。瘴気とでも呼ぶべきものだ。
(これは、当たりだね)
彼女は、与えられた情報と自分の直感が正しかったことを確信し、門前へと歩を進めた。
この夜更けである。屋敷の門は当然閉じられ、しっかりと閂がかけられている。屋敷の裏に回り込んで、勝手口を調べても同様だった。それを確かめると、彼女は迷いなく腰の刀を抜く。
そして、鉄で出来た勝手口の閂を―― 
キンッ!
一閃のもとに叩き斬った。
澄んだ音が夜の静けさの中に響き渡り、閂を失った門はあっさりと侵入者に道を譲る。
(やれやれ……時代が変わっても、あたしがやることは変わんないね~)
皮肉な感想を心中呟けるくらいに落ち着いている。焦りも恐れもない。必要以上に足音を殺すようなこともしない。標的の位置はわかっているのだから。濃厚になった臭い……瘴気がそれを教えてくれる。

辿り着いた部屋で、屋敷の主である男は夜中にも関わらず起きていた。
(こいつらに睡眠は必要ないのかね~)
そんなどうでもいいことを考える。
屋敷の主は近づく彼女の気配に振り返った。
「お、お前は……一体こんな時間に何の用だ」
返答代わりに、携えた刀の鯉口を斬る。
「ろ、狼藉者め……! 誰か、誰かおらぬか!」
男は大声で叫ぶ。
「無駄だ。助けがくる前に、お前は死ぬ」
「な、なぜこんなことを……」
「白々しい。わかるだろう……あたしが巫剣で、そしてお前は」
刹那、その言葉を遮るように、男が咆哮を上げる。
「ガアアアアア!!!!」
それは人間に出せる声ではなかった。 
猛然と叫声を上げながら、人とは到底呼べぬ形相で鬼神丸国重へと躍りかかる。
それを見ながら、彼女は悠然と刀を抜く。
「禍憑だ」
遮られた言葉を続ける余裕すらある。
異形と化した男の脇をすり抜けたときには、全てが終わっていた。
「昔から変わらない。巫剣は禍憑を斬る……ただ、それだけのことだよ」
わずかな残心を残し、なにもなかったかのように部屋の外でその刀を納める。
背後で、どさり、と禍憑……男の影が倒れた。 

屋敷の近所で、男は鬼に襲われたのだと人々が噂していると聞き、鬼神丸国重は肩をすくめる。夜中、あたりに轟いた咆哮は、屋敷の主を襲った鬼のものである、ということになってしまったようだ。
「あたしのほうが鬼……ね」
 男は禍憑が化けていたわけはなく、取り憑かれていたのだ。禍憑化しているとはいえ、人を斬る。そんな汚れ仕事を、鬼神丸国重が古くから請け負ってきたことには理由がある。
「まあ、人がどう思おうと――」
かつて斬ってきたもの、犠牲にしてきたものを思い返す。
「あたしは自分の信じるもののために戦うだけだよ」
光がある限り、影があるように。
彼女の仕事が終わることは、決してないのかもしれない。
電撃G'sマガジン 2018年1月号掲載