勝者は歴史に語られ、神に。
では、敗者は……?
歴史で語られることのない敗者は
いったいなにになるのだろう。

「……今度こそ、うまくやっていけるでしょうか?」

宿場街の入り口に佇む少女が呟いた。
くたびれた旅装束は、少女が長く旅をしてきたことを表しているが、そんな汚れた格好であっても、少女の美しさは少しも損なわれていなかった。
艶やかな長い髪は、長旅の埃こそついていたが、それでもなお白銀に輝き、凛とした顔立ちは高貴さすら漂わせている。
そんな美少女が一人でいれば、下卑た声の一つでもかかるのが宿場の常だが、そのような者は存在しなかった。
そのしなやかな体は、少女らしい柔らかさも備えているが、同時に厳しく鍛えられており、腰に帯びた刀とともに少女が戦いに身を置く者であることを示していたからだ。

当然である。
少女――千子村正は巫剣なのだから。
だが、少女が話しかけられない理由はそれだけはない。

「ねえ、また誤解されたらどうしたらいいかな……?」

そう言って、千子村正が話しかけていた相手が問題だった。
どうやら、彼女は単に一人言を呟いているわけではない。
胸にかかえた人形のようなものに話しかけていたのである。
それだけなら、少女らしい行為に過ぎないかもしれない。
しかし、その人形は……あまりにも不気味だったのだ。
彼女の姿を見た宿場の者たちがひそひそと言葉を交わす。

「……おい……あの女の子……なんかやばくないか」
「胸に抱いているのは、呪いの道具か?」
「いや、あれはそんな生易しいものじゃないぞ……妖怪物の怪のたぐい……いやもっとやばいやつだ」
「異国には『邪神』とかいうやつがいるらしいぞ、見ただけで気が狂うとか」
「それだ……! あんまり見ると俺たちもやばいぞ!」

その時、もし千子村正の言葉に聞き耳を立てている者がいたら仰天したであろう。
歪んだ角の生えた不気味な姿。
誰もがすくなくともこの世の存在ではないだろう、と確信するその人形について、彼女がこう呟いたからだ。

「……いけないですね。ついつい、可愛い鹿の人形に話しかける癖が抜けません」

どうやら、その人形が千子村正には『可愛い鹿の人形』に見えているらしかった。

周囲から不気味がられていることに、千子村正は気づかず、宿場へと入っていく。
鈍い、というわけではない。
本人も気づいていないが、ただ単にそういった類いの視線に慣れすぎているのだ。
村正。
その二字には忌まわしい伝説がつきまとう。
血を求め、人を狂わせる刀だと。
それは、そもそも意図的に流布された悪評だった。
千子村正のかつての主はまぎれもなく英雄だった。
……だが、天下を分ける戦いで、敗れた側にいた。
ゆえに、主は大悪人とされ、共に戦った千子村正にも悪い噂が流されたのだ。噂は長い年月の間に尾ひれがつき、いつしか恐ろしい伝説にまで成り果てた。
千子村正が旅をしてきたのはそのためである。
誰も自分のことを知らない街へと流れ、ただ平和に過ごすこと。
それだけの彼女の願いが叶うのはいつも短い時間……誰かに正体が知られてしまうまでのことだった。
どこへ行ってもなぜか彼女は不気味に思われ、いずれ誰かの詮索で「村正」であることが知られてしまう。
そうなったら、また次の街へと移動するしかない。

「どこか、泊まれるところはないでしょうか?」
「あ……ああ、それだったら……」

千子村正に話しかけられた男は、やや怯えながらも手近な宿の場所を伝えた。
実は、すでに『鹿の人形』のせいで警戒しているのだが、……それでも、逃げ出すほどのことではないからだ。
千子村正は安心する。
どうやら、自分の正体はここではまだ知られていないらしい。
ほっと安心したのも束の間。

「…………隠れてください!」
「……え?」
「いいから、はやく!」

そう千子村正が叫んだ瞬間。
どこからともなく、異形の存在が大量に現れた。

「……禍憑!!」

――ギャアアアァァウウウウゥゥ!!!!

「ひ、ひぃっ!」

禍憑の叫びに周囲の者は腰を抜かし、隠れそびれてしまう。
千子村正は思わず呟いた。

「まずい……数が多いのに……」

この程度の禍憑など、たとえどれだけいようがものの数ではない。
だが、人を守りながらだと難しい。
人間は巫剣よりはるかに脆い。禍憑に襲われればひとたまりもない。

「しかたありません……」

そう呟くと千子村正は抜刀して叫んだ。

――纏ノ常闇!!!

千子村正の身から“闇”が立ち昇り、そこだけ夜になったかのような錯覚を覚える。
黒い気に包まれる彼女の周囲を、闇から生まれた蝶が舞う。
真昼に生まれた闇夜。
その中を、目にもとまらぬ剣閃がほとばしった。

――ァァァァァァァァ……

大量の禍憑が、寸断され……微塵になって消えていく。

「……大丈夫でしたか?」

そう言って千子村正が倒れた人に手を差し伸べたが……

「ひっ、ひぃっ!! 助けてくれえ!!! 化け物ォォォ!!」

その手を払いのけて逃げていってしまった。

「え……」

その声を聞きつけて、往来に人が飛び出してくる。 

「化け物が出たらしいぞ!」

彼らの目の前にいたのは。
抜刀し……黒い蝶を侍らせ、夜をまとった少女だった。

「……あ、あの女がそうか!?」
「さては美女のなりでたぶらかす気か……!」
「い、いえ……そういうわけでは」
「実際に手下の化け物を従えているじゃねえか」

まずいことに、彼女はあの『鹿の人形』を抱えたままだった。

「……やばいぞ……」
「そういえば、聞いたことがある……呪われた刀……一見美しい少女だが、実は人の生き血をすする最悪の化け物だって……あいつのことじゃないのか!?」
「逃げろ……血を吸い尽くされるぞ……!!」

騒ぎながら逃げ出す人々をみながら、少女は呟く。

「ここも……あっという間でしたね」

歴史は勝者が語る。
勝者は神とり……敗者は化け物と呼ばれるのだ。
だからその少女を、人はこう呼ぶのである。
妖刀村正、と。
電撃G'sマガジン 2017年11月号掲載