「……あれが菊一文字則宗さん」
「神速の剣技、見てみたいよね~」
七香と八宵は、巫剣、菊一文字則宗を見かけてこんな会話を交わした。
巫剣たちとは御華見衆として共に戦う仲間だが、あくまで後方支援の2人にとって、その戦いぶりをよく知らない巫剣もいたりする。
だが情報通の七香でなくても菊一文字則宗の武名の高さ、特にその神速の剣技はよく知られている。
しかし、そこいるのは、どうみても穏やかな雰囲気の美少女である。
艶やかで長い髪、金の双眸にたたえた光は柔らかで、戦うもの特有の殺気など微塵も感じさせない。
「滅多に怒らないけど刀を抜くとまるで別人だとか」
「気になる~! よーし、後をつけてみよう♪」と、好奇心に火がついた八宵を止めることができないのを、七香はよく知っていた。
早速、事件は起きた。
ふらふら歩いていた酔っぱらいが、どん、とぶつかったのである。
「気をつけろや、ねえちゃん!」
明らかに言いがかりなのだが、菊一文字は「すみません」と言って頭を下げた。
「滅多に怒らない、というのはうわさどおりみたい」と七香は感心する。
さらに、もう少し菊一文字が歩いた先で、再び事件は起きた。
道端で水を撒いている者がいたのだが。
じゃばっ!!
「す、すみません!」
その水が、みごとに菊一文字に直撃。ずぶ濡れである。
「流石にこれは怒るところだよね!」
七香と八宵はそう声を合わせたが、菊一文字には怒る様子がない。
「あ、大丈夫です。すみません……拭くものだけお借りしていいですか?」
尾行している七香と八宵は驚く。
「笑って許しちゃった!?」
「それどころか、謝ってるよ、なんで!?」
昔から言う。二度あることは三度ある、と。
「おうおう、ねえちゃん、かわいいじゃねえか」
「ちょっとさあ、おじさんたちと楽しいことしようやあ」
うろんな風体の男たちに菊一文字が囲まれたのである。
「うわ~……典型的。これは怒るんじゃ……」
「囲まれてるし、無礼だし、これはさすがに……!?」
だが、菊一文字の行動は2人の想像を超えた。
とん。
「え?」
なにが起きたか認識できなかった。
「えーと、遠慮させてもらいますね」
と、菊一文字は声をかけたのだ。彼女を囲んでいたはずの、男たちの背後から。
その上、ぺこり、とわざわざ軽く頭を下げ。
「じゃあ、僕はこれで」
と去っていった。
「……!? と、とにかく滅多に怒らないにも程があるね……」
「心が広いってレベルじゃないよ! 菩薩なの!? 聖人なの!?」
あまりの衝撃で七香と八宵の「刀を抜いたところを見たい」という軽い気持ちはすっかりどこかに行ってしまい、2人の心の中には崇拝にも似た尊敬の念だけが残ったのであった。
すっかり日が暮れてしまった。薄暗くなった夜空に、桜が美しく映えている。
菊一文字はふと足を止めた。桜に見とれた、というわけではない。
「……ほんと、今日は色々とつきまとわれる日ですね」
つぶやく声に呼応したかのごとく、現れた者がある。
禍憑。
人々に襲いかかる、恐るべきその怪物を目の前にして。
「はあああああああ…………ああああ! もう」
菊一文字は盛大に嘆息した。その音には、先ほどまでとは違い、はっきりと苛立ちが現れている。
「ほんっとどいつもこいつもイラッイラッイラッイラさせてくれますね!! 僕は刀を抜きたくないんですよ!!!」
怒声と共に、菊一文字は鯉口を切り。
「象天法地――絶牙三段ッッッ!!!」
一瞬の後に、禍憑はずたずたに千切れ飛んだ。
瞬間のうちに三段の突きを叩き込む、菊一文字の絶技。
禍憑には無関係だったが、今日の不運な一日を過ごし、菊一文字の密かな苛立ちは頂点に達していた。
その怒りの全てを乗せた一撃……否、三撃である。
それを、食らったのだからひとたまりもない。
禍憑にとっては八つ当たりもいいところだったが、人々に襲いかかる怪物なので問題はないはずだ、きっと。
「ああ……すっきりした」
にっこりと笑った菊一文字則宗。
夜桜に映えるその笑顔を、誰も見てはいなかった。
電撃G'sマガジン 2017年6月号掲載