「おっさけ、おっさけはおいしいなぁ~♪」

夕暮れ時、茜に染まった空の下。いいかげんな節回しの歌を口ずさみながら歩く一人の乙女の影があった。
白に近い銀の長い髪は艶やかで、その顔立ちは柔らかく、どこか育ちの良さを感じさせる。そこだけ見ればどこかのご令嬢かとも思われる。だが、乙女はどうみても「ただのご令嬢」ではない。
まず、まだ夕暮れ時だというのにベロベロに酔っ払っている。まだ陽の高い時間から相当量を飲まないかぎり、こうはなるまい。ご令嬢がそんなことをするわけがない。

「ひっるから、ぐびっと、かんろかなぁ~♪」

さらに、その身のさばき。酔って千鳥足になっているにもかかわらず、そこには一分の隙もないことに見るものが見れば気がつくだろう。それはまさしく、達人の歩法であった。
そしてなにより、その背中に負った巨大な酒瓶である。華奢な乙女がそんなものをいとも軽そうに担いでいる姿は尋常のものではない。
そう。乙女は瓶割刀。巫剣——その中でも群を抜く斬れ味を誇る存在だった。その実力は禍憑と戦う戦力の中で、主力級とされている。
ただし、残念ながら。

「あーー! わたし、いいことおもいついちゃった!!」

などと、誰も聞いていないのに大きな声で独り言を叫んでいる姿は、「酔っ払い」以外の何者でもなかった。道に人影がなく幸いだった。こんな姿を見られていたら、他の巫剣の評判にも響きかねない。

「まだじかんもはやいし!! ごしゅじんさまと!! のみなおそう!!!!」

瓶割刀は酒精の回った頭で考える。
この間、山鳥毛一文字が言っていたのだ。
舶来の「びいる」というお酒が評判なのだと。「しゅわしゅわ」とした不思議な味わいらしい。

(しゅわしゅわ! それは一体!)

その話を聞いてから、早く飲みにいきたいと思っていた。ご主人様と合流し、もう一度出かければ飲み始めるのにちょうどいい時間になるはずだ。

「びいる! しゅわしゅわ!」

瓶割刀はその足取りを——相変わらず千鳥足で、そして隙なく——速めた。
そのまま、小さな橋にさしかかる。
瞬間。

「…………っ!」

瓶割刀は不意に足を止める。
先ほどまでの姿が嘘のように、張り詰めた緊張感を漂わせながら、すらりと刀を抜いた。

「出てきなさい」

瓶割刀の言葉が聞こえたのだろうか。姿を現したのは、数体の禍憑である。

「まさに逢魔が時……ね」

凶暴な禍憑は、この人影のない橋で獲物を待っていたのだろうか。もしここにいたのが「ただのご令嬢」であれば、無事ではすまなかっただろう。
だが、もちろんそうではない。

「酔いが醒めちゃったじゃない。……せっかくいい気分だったのに」

ここにいるのは、巫剣であり、剣術の達人であり。

「さっさと、私に『びいる』を飲ませなさい!」

最強の酔っ払いなのだ。
いいがかりに近い瓶割刀の言葉に怒りでも覚えたのか、禍憑が叫びを上げながら一斉に襲いかかる。
おぞましいその姿を、瓶割刀は冷静に見つめている。
そして、まるで安らかに眠りにつくかのようにそっと目を閉じた。

「夢想散華」

呟いた瞬間…………
禍憑が、散った。
もし見ているものがいても、何が起こったかすらわからなかったであろう。
瓶割刀は斬ったのである。目に映ることすら許さない絶対の速度で、寸刻みに、幾度となく。それも、数体いた禍憑全てを、一瞬のうちに。
瓶割刀自身には、斬った覚えはない。技を放つ瞬間に意識を手放し、無意識のうちに最速の動作で敵を斬る。それこそが瓶割刀の奥義「夢想散華」なのだ。
これは瓶割刀にとって切り札中の切り札であり、はっきり言ってしまえば、今使うような技ではない。
しかし、瓶割刀にとっては。

「さあ、はやく、びいる!」

早くご主人様とびいるを飲みたい今こそ、奥義を使うべきタイミングだった。

「しゅわしゅわ、ぐびぐび、たのしみだぁ~♪」

とてとてと、早足ながら千鳥足で、乙女の影が橋を渡っていく。
宵はまだ、はじまったばかり。
電撃G'sマガジン 2017年5月号掲載