「甲よ、しゃんとせんか!」
雀の鳴き声に交じって、小烏丸がなんやかんやと朝から騒ぎ立てていた。
小烏丸は工房で生まれてこの方、自分にとって母親のような巫剣・丙子椒林剣の言いつけで何かと世話を焼いてくれている。ずっと、あれいやこれやと、色々教えてくれた。育ての母、とは彼女のような存在かも知れない。
今朝方から、普段以上に熱が入った様子で、旅立ちの準備を急き立てている。もう出かけようと玄関まで来たというのに、再び小烏丸は自分の荷物鞄を開いて、持ち物の確認に余念がなかった。
「石鹸、香水、砥石、洗面用具……あと足りないものは……。教育係のわらわの沽券にかけて、甲に粗相があってはいかん。しっかりと繕ってやらんとな」
「小烏丸、大丈夫。自分も、ちゃんと言われたもの、確認した」
「う~む、そうは言うがな……む! 襟が乱れておる! 帽子もしっかり整えるのじゃ」
「そうかな……? もう三度も締め直してる」
「そ、そうか? こほん、だからと言って気を抜いてはいかんぞ。なにせ、これがお主の門出になるのじゃからな」
「……うん。わかった」
「そうそう、列車に乗るのじゃから、黒煙に巻かれてススだらけになった時のため、手拭を多めに持っていく必要がだな……」
門出……そう、自分はまだ見ぬ主に仕える日のために出立する。
花嫁修業のようなものだと小烏丸は言っていたけれど、預かり先で、由緒ある華族の人間から礼儀作法や文明社会での生き方、常識を習うらしい。でも、それは一体、今までと何が違うのだろう……?
「わらわがついていくことはできん。だが、道中にはちゃんとお伴をつける手筈になっておる。なにかあれば、そやつを頼るがいい」
「お供? 自分に……? 小烏丸ではなくて?」
「うむ。今はまだ頼りない見てくれじゃが、見込みのある若者じゃ」
預かり先でも小烏丸が傍にいてくれると思っていた。そうでないなら、これが別れなのだろうか。だとしたら、寂しい。
「まあ、なんじゃ……お主にも、あやつにも、慣れてもらわんといかんしの……」
「小烏丸……もう会えないの?」
「……こら。そう悲しそうな顔をするでない。会おうと思えば、わらわとはいつでも会える。わらわはお華見衆の伝令役じゃからな。顔を合わせる機会も多かろう。それと、覚えておけ、甲。晴れの門出には笑うものじゃぞ」
自分は黙って頷いた。
巫剣は凶禍と戦うために、巫剣使いという主を持ち、その縁を結び、戦う。その運命に従い生きることが、刀より稀人として生まれた者の定め。小烏丸は最初にそう教えてくれた。自分は、その定めに従う。ただ、育ててくれた小烏丸に報いるため、その生き方を選ぶ。
「まったく、お主はいまだに笑うのが下手じゃのう」
小烏丸は、からからと笑い、荷物を鞄に押し込んでパチリと閉じた。
「お主はまだ半人前の巫剣じゃ。お供に据えるあやつも、将来巫剣使いになれる器を持っておるものの、同じく半人前……いや、それ以下かの。しかし未熟者同士、互いに学ぶものがあるじゃろう。共に切磋琢磨するのじゃぞ?」
小烏丸は自分の手に鞄を握らせ、そのままギュッと抱きしめてくれた。
「お主をいつでも見守っていると約束する。達者でな、甲」
ややあって、一歩引いた小烏丸は微笑む。朝日が玄関から差し込み、小烏丸の笑顔が輝いて見える。そして、自分は深呼吸をして、精一杯の笑顔を浮かべてみた。
「……ありがとう、小烏丸。いってきます」
「ご報告します。甲、彼の者と出立しました」
「そうか……本当に案内人があの少年で大丈夫なのか?」
「問題ないでしょう。彼の素質は他の巫剣使いを凌駕していますから。兄よりも……そして恐らく"あの男"よりも」
「阿修羅丸……よりもか?」
「しっかりと導く者がいれば、ですけどね」
「ふむ……君の折紙付きとあらば、託すしかあるまい」
「ええ。きっと私たちの希望のひとつになってくれますよ」
電撃G'sマガジン 2017年1月号掲載