たった数か月の間に、四国において禍憑の目撃報告が次々と上がってきていました。
調査によると、戦乱の時代に作られた八十八ヶ所の霊場が生み出す禍憑払いの結界が弱まっていたのです。
そんなこんなで、数珠丸恒次は目くるめく素晴らしき滝行漫遊の……もとい、弘法大師の苦難の修行の道を巡るお遍路参りを行い、禍憑払いの結界を結び直して来ます!
――と言って意気揚々と出立したものの、うちは滝行の魅力には勝てなかったのです……。
* * *
近くで滝が落ちる音が聞こえ続けていました。
『あ……あれ、なんだか気持ちいいかも……もしかして、うちは極楽に召されようとしてるのかな……』
まだ薄ぼんやりとした状態であっても冷たい石肌に、体を横たえているのはすぐにわかった。
そして、なにやら温かくて生々しい何かが覆いかぶさっているのも。
これは……なんでしょう……なにか、うちの好きな、大好きななにか、ふわふわして、マシュマロのような……。
うちは確か、玄人限定の龍神の滝に入って……それで昂ぶりすぎて……
んちゅ……
『これは……口元に当たるこれは……え、あれっ!? く、口の中には、入ってっ!? ええええっ!?』
ぱっと、目を見開いた瞬間、美しい黒髪と漆黒の闇を抱えた瞳が目に映りました。
その輪郭はゆっくりと妖艶な笑みを浮かべて――。
ぴしゃり
いきなり両頬を叩かれて、うちは「ひゃあっ」と甲高い声を上げてしまいました。
「いい加減、起きてくださいまし。数珠丸さん?」
凛とした、淡く妖しげな声が上から響いてきました。
そして、重く熱い吐息が何度も、うちの胸元にこそばゆく降りかかっています。
「お目覚めですか? 勝手ですが、眠っている間はこの私――陸奥守吉行が介抱させていただきましたわ」
目の前で私に覆い被さっていたのは、陸奥守吉行でした。
彼女は高知に縁のある気高き巫剣であり、土地勘を頼りに同行をお願いしていました。
「陸奥守!? あ、あなた何をしてるんですか! う、うちにせ、せせせせ、接吻をしたりっ!」
陸奥守はきょとんとした顔になり、すぐに妖しく微笑みました。
そして、ゆっくりとうちから自分の体を剥がすように上体を起こすと、指先でうちと自分の唇の感触をなぞり始めました。
途端に、うちは顔から火が出るほど恥ずかしくなって、言葉が出なくなりました。
うちは抱きつき癖があるのですが、自分からは良いのに、来られると弱いんです。
ええ、とっても――。
「あらあら、数珠丸さんは女の子に積極的な態度を取られているというお話でしたが、こういうのには弱いんですの?」
「う、うちは……その、あの、えっと……うぅ……」
「うふふふ……冗談ですわ。存外、初心なんですのね。可愛いですわ。ただの人工呼吸でしたのに」
「え……ええっ!?」
ひとしきり、うちの痴態を見下ろしながら堪能した陸奥守は、ややあって見繕いをし始めたのです。
「うふふ……本当に奇特な方ですわ。お遍路参りにはとても似合いませんもの」
微笑んだ陸奥守の顔は出会った頃よりもずっと、晴れやかに見えました。
四国の案内を頼んだ頃の陸奥守は、心に深い闇を抱えていたのですが、
今はこんな風に笑ってくれるようになったのです。
「さて、数珠丸さん? のんびりはしていられませんわ」
お遍路の正装に戻った陸奥守は、編笠で顔を隠し、さっと踵を返します。
「八十八ヶ所の巡業もまだ38番目……まだ50箇所巡らないといけませんし」
「は、はーい! た、ただいま!! 陸奥守、待ってください! うちを置いてかないでぇ!」
巫剣たちはみんな、寄り添う相手がいるだけで、すごく優しく柔らかく可愛らしい笑顔を取り戻していける。
うちが目指すものは、世直しよりも滝行よりも、きっとそういうみんなの笑顔の花を取り戻していくこと、ですよね♪
電撃G'sマガジン 2016年7月号掲載