暗い暗い微睡みの中にいた。
泡沫の瞳に映る景色は、最後の戦場であった壇ノ浦――。
そして、記憶に焼きついて離れない、主殿の姿。
潮の香りの漂う中で、戦は始まりを告げる。
とめどなく響く怒号、ぶつかりあう剣閃。
数えきれぬ血風が舞い散り、潮騒の匂いが一層強くなる。
開戦からしばしの間、戦局は優勢であった。
しかし、潮の流れが変わり、戦局は一気に逆転する。
「志半ばで諦めるのか、主殿! まだ負けてはおらぬぞ!」
叱咤の声に、主殿は力無く首を振る。もう良い、無言のままにそう語っていた。
最早これまで――敗北を悟った他の将や兵たちは、次々に入水していく。
恐らく、いずれは主殿もそうするだろう。
「それならば、妾も逝こう。最後まで付き従うのもまた、盟友の役目じゃ」
覚悟はできている。主君のため、全てを捧げ果てるのが自らの命運であったのだ。
「……かはっ!?」
しかし、主殿から放たれた不意の一撃が、意識を刈り取っていく。
何故? 頭を駆け巡る疑問。その答えは出ないまま、少しずつ視界は白んでいく。
『見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん』
音も聞こえない世界の中で、最後に聞こえたのは裏切りの言葉。
こうして、知ることになるのだ。みな、自分を置いて行くのだと。
決してこの想いを、汲んではくれないのだと。
静寂の蔵に澄んだ夜の匂いが満ちる。
こうして独りで過ごすのは、いつも通りの変わり映えない日常だった。
淡い月明かりがさしこむ窓辺に、そっと烏が止まる。
すると、挨拶するかのように小首を傾いで、かわいらしく鳴いた。
その様子に思いがけず笑みを浮かべる。
夢の光景から、もう数百年……あれから、一度も戦場に出たことはない。
世の支配者は何度も変わり、あの後訪れた長い侍の時代も、まもなく終わる。
銘治の世になり、人々が往来で刀を持つことは禁じられた。
巫剣の役目は人知れず終わったのだ。
栄枯盛衰、巫剣たちが栄華を誇った時代は、もう来ることはない。
盛者必衰、変わらぬものなどない。だが……。
「こうして、独りでいると良く思うのじゃ。妾も、共に逝きたかったと」
烏は冗談じゃないと言わんばかりに声を荒げる。
「だがな、後の世のために生きろと……そう言われた気がしたのじゃ」
悲しそうに鳴く烏に手を伸ばし、そっと撫でる。
「すまぬな、悲しい顔をさせて。だが、もう大丈夫」
時に囚われて過ごす日々が、終わりを告げようとしている。
もう一度世を渡り、あの言葉の意味を見つめ直す機会が与えられたのだ。
安心したのか、烏が窓辺から夜の薄闇の中へ再び飛び立っていく。
追うように窓の外を見ると、夜空を飾るのは半分に欠けた月。
それに、ふと自分の姿を重ねた。
自分と同じように、満ちるときがくるのを待っている。
この先に待つのは新たな御役目。そして、いつか出会うであろう――新たな主。
「叶うならば、妾は今生、どうか果てるまで添い遂げよう――」
夜風がふわりと前髪を揺らす。
青く輝く月のせいだろうか。微かに引波の音が聞こえた気がした。
電撃G'sマガジン 2015年8月号掲載