夕暮れの中で海原が、轟、と音を上げる。
本州と九州。その2つの島に挟まれた細長い海峡の中で、潮の流れが立てるうなり声を聞いているのは、1人の少女だった。
異装である。全身を黒で覆った中、腰に差したるは鮮やかな朱の鞘。なにより、片目を眼帯で覆ったその姿は、街中であればさぞ目立ったことであろう。
だが、その時、少女を見るものは誰もいなかった。
(この音は、何も変わらないな……あの時と)
当たり前だが、海の音が変わるわけもない……と、そんな詮無きことを考えた自らを嗤った少女の名はあざ丸。
巫剣の中でも古き歴史を持つ、由緒正しい一振りである。
かつて、あざ丸はこの場所で戦い……そして敗れた。
全てを失った。誇りも、大義も、主も――。
そして……それだけでは済まなかったのだ。
――ズキン
あざ丸の眼帯の奥で、右目が疼いた。
熱いようで、冷たいようで……そのどちらでもない感覚に、あざ丸はすでに慣れている。だが、その疼きは普段よりも激しかった。
(この場所であれば当然か……)
この身に宿る祟り。それが初めて悲劇を引き起こした場所だった。
主を失った悲しみがその身に焼付き、いつしか黒い渦となって彼女自身と周囲の運命を飲み込むようになった時、あざ丸は自身こそが祟りそのものであると理解した。
今では、右目を眼帯で封じ、神への供物とすることで、仮初に封印することは出来ている。だが、それは完璧とはほど遠い。いつしか、あざ丸は身を隠し1人で生きるようになった。せめて祟りが誰かを不幸にしないように……。
(ここに誰もいなくてよかった)
因縁の地にあって、普段よりも強くなった祟りの力は抑えるのも一苦労だ。誰かがいたら巻き込んでしまったに違いない。
(やはり……ここに来るべきではなかったな……)
あざ丸は悔いる。
この地を訪れればこうなることは分かっていたのだ。
それでも、来ないではいられなかった。
少し前に届いたある誘いは、あざ丸の心に、それほどの迷いを生じさせた。
それは、御華見衆からの招集だった。
激化する戦いに、あざ丸の力が欲しいのだという。当然のように断りの返事を書こうとして……あざ丸は、迷っている自分を見つけて驚愕した。
(私は……再び、戦いたいと思っているのか? これほどの祟りを身に宿しながら?)
迷いに迷ったあげく、あざ丸はこの地にやって来てしまった。
ずっと避けていたこの場所に。
ここに来れば、何かが分かる気がしたのだ。
(だが、気のせいだったらしい)
分かったのは、何も変わっていないということだけだった。波の音も、この身に宿した祟りも。
(やはり、私に誰かのために戦う資格は――)
――!!!!!!!
不意に、右目の奥が灼熱に爆ぜた。
これは……

「禍憑かっ!?」

あざ丸の叫びに答えるように、揺らぐ波の間からずるり、と何かが立ちあがり……咆哮を上げる。
間違いなく、禍憑だった。それも、この気配から察するに、かなりの強さだ。
(これほどの禍憑が現れるようになっているのか……?)
あざ丸は、御華見衆が自分を欲した理由を理解した。あざ丸のように戦いから離れた巫剣の力まで結集しなければ、この化け物たちと戦いを続けることは出来ないだろう。
禍憑が咆哮を上げ、あざ丸に迫る。
(まずいな……これは)
戦いから離れていた時間が長すぎたらしい。あざ丸の動作は本来の実力よりもほんのわずかだけ鈍い。
そして、そのほんのわずかが生死を分ける。この禍憑は、それほどの相手だった。
(このままでは……!)
負ける。
あの時のように。
あの時のように……?
その思った瞬間、あざ丸の奥底に湧き上がったのは、灼熱のような、紅蓮のような激情。
(それだけは、もう二度と……絶対に……!)
迸る感情の中であざ丸は、理解した(「理解した」傍点)。
自らの中に巣くう祟り、その使い方を。(「使い方」傍点)
右目の眼帯をずらす。

「黒祟棺――」

蘇る半分の視界が、禍憑をとらえた刹那。
黒い闇が禍憑を飲み込み……その姿を小さく圧縮し、虚空へ消し飛ばした。
禍憑の姿は、もうどこにもない。
――ズキンッ……!!
湧き起こる強烈な痛みに、慌てて眼帯を元に戻す。
それでもすぐには治まらない叫び出しそうな疼きの中であざ丸は決める。
御華見衆に加わることを。
あざ丸は気付いてしまった。もし、自らが生かされている理由があるなら……それは禍憑との戦いの中でしか見つからないことに。そして、それが見つかったならば……。
もう一度、ここに来よう。
この壇ノ浦に。
電撃G'sマガジン 2018年2月号掲載